文化 八尾歴史物語 六十六巻

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■文化財と観光(2) ~江戸時代の旅(後編)~
前編では、市内に残る伊勢神宮への参詣を記念した「おかげ灯籠」を紹介しました。
大坂からの神社への参詣は、伊勢神宮だけでなく、四国の讃岐の金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)(香川県琴平町、明治元年[1868年]金刀比羅宮(ことひらぐう)に改称)に参詣する「こんぴら参り」も盛んでした。大坂から乗合船で海に出て、金毘羅権現に近い丸亀の港まで行き、そこから歩いて行くのが一般的な行程でした。そのため、大坂は各地からの参詣者がこんぴら参りに船出する拠点になりました。穏やかな瀬戸内海の船旅は、徒歩とは違う楽しみがあったようです。
市内では伊勢参りに比べ、こんぴら参りはやや遅れて盛んになったことが灯籠の年代から分かります。伊勢灯籠は1830年の最後のおかげ参りを境に見られなくなります。一方、こんぴら参りを記念した金毘羅灯籠は、その前後から増え、明治時代に入って建てられたものもあります。その灯籠を見ると、金毘羅大権現から金刀比羅宮にきちんと銘が変わっています。
旧植田家住宅にある金毘羅灯籠は、植松町6丁目の旧植松村東部の奈良街道沿いから移設したものです。市内に残る金毘羅灯籠の中で最も古く、寛政十一年(1799年)の銘が刻まれています。また、旧植松村の西口には、宝暦7年(1757年)の伊勢灯籠と並んで安政3年(1856年)の金毘羅灯籠が建っています。
明治時代の伊勢灯籠がないのは、伊勢参りが衰えたのではなく、村々の講による参詣から、個人での参詣に移ったことを示すのでしょう。
(おわり)

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