くらし 人権コラム「しあわせ」

■人権教育の時代
昨年の12月に社会教育施設職員の学び合い講座を大阪教育大学で実施した。この講座は、大阪府公民館等連絡協議会、大阪府教育庁地域教育振興課、大阪教育大学学術連携課との共催で実施している。これまでの研修では、30名から60名の参加があったが、12月の第1回目の学び合い講座は12名と、少ない人数だった。この講座を周知する期間が短かったということもあるが、呼びかけのチラシを見直すと、「学びはライブだ!」「ワールド・カフェによる対話」「ワークショップ」といった言葉が踊っている。

何かを学ぼうとするとき、一番気楽なのは、例えば大学の教員が専門としている話を聞いて、「あーなるほど」と知識を広げる研修であろう。自分がそこへ参加して、参加したことによって何かを作り出していく研修は、とてもパワーが要る。だから参加者が少なかったが、このような研修こそ必要になってくる、そんなふりかえりをスタッフと行った。

私は2005年から2年間、月刊「ヒューマンライツ」に「参加型と呼ばない人権学習」という連載をおこなった。この連載を始めた意図は、「参加型学習」というふうに名打つと、研修会の参加者が少なくなるので、参加型と呼ばないで参加者が自然な形で会話に入っていけるような研修の在り方を試行することだった。最初からグループ分けしたり、司会を決めたりはしないけれども、参加者の頭が働き、心が動いていくような人権研修を模索しながら提案していった。

もともと「参加型と呼ばない」というキャッチコピーは、大阪大学の渥美公秀さんが、当時「防災教育と呼ばない防災教育」を提唱されていたので、そこからヒントを得た。防災教育と言うとあまり人が集まらない、そこで防災教育ではなくて、「町歩き」とか「自分の町に気づこう」と呼びかけて、地元をフィールドワークしながら、様々な防災の気付きを見つけるというワークショップを提案されていた。ところが今、防災教育とか防災に関する研修というと、たくさんの人が関心を持って集まるようになった。わざわざ言い換える必要がなくなったのである。

人権学習も防災教育と同じように、人権を尊重し合うことが、私たちの住み良い地域づくりにつながるんだという意識が高まりつつある。もちろん、「学びはライブだ」「参加者の対話重視」というふうに前面に出てしまうと、参加者が少なくなる傾向があるけれども、人権教育の必要性は日増しに高まりつつある。まさに「人権教育の時代」が到来している。

私の人権コラムは、約10年間連載してきたが、私の退職に伴い、今回が最終回となる。引き続き、後輩が執筆してくれるが、私の人権に関するつぶやきは、これで最後となる。長らくのお付き合いに感謝申し上げます。

岡田耕治(大阪教育大学)