- 発行日 :
- 自治体名 : 兵庫県川西市
- 広報紙名 : 広報かわにし milife 令和7年9月号
かわにしならではのカルチャーを発信。あんな人やこんな場所、魅力的なグルメなどを紹介します。
■矢が導いた多田の開拓 源満仲公と九頭伝説(※1)
◆川西の地に息づくいにしえの物語
地名の由来として語り継がれる
◇大蛇を討ち多田を開いた源満仲公
市中部、多田の地域が舞台の物語「九頭(くず)伝説」。源満仲公による多田の開拓にまつわるこの伝説は、多田の地域の歴史や地名の由来が語られています。
時は平安時代。満仲公が朝廷を守護するため京の近くに居を探そうと大阪の住吉大社で祈願したところ、「空に矢を放ち、矢が落ちた場所を住まいとせよ」とお告げを受けます。
白羽のかぶら矢を放つと、矢は高く舞い上がり、五月山(現在の大阪府池田市)を越え、北西の方角の谷陰に光を放って落ちていきました。
矢の行き先を探していた満仲公は、道中で出会った老人に矢が飛んでこなかったか尋ねます。老人は、「この先の麓の池には、頭が九つある大蛇が住みつき人々を襲い苦しめていました。ある日、空から光るものが飛んできたかと思うと、大蛇は山が崩れるほど大暴れしていました。その結果、山を突き破って池の水は流れ去り、すっかり平地になってしまいました」と言いました。満仲公が麓に下りてみると、矢が刺さった大蛇が死んでいました。
満仲公は、大蛇の首を切り、祠(ほこら)(神様を祭るための小さな社)を建てて祭りました。そして、この地が住吉明神のお示しになった場所だと住居地に定め、居城を築きました。
◇今なお継がれる伝説の名残
東多田地区には、大蛇の首を祭ったとされる「九頭大明神」が現在も鎮座しています。
また、伝説の中では、水が引いた跡が多くの田のようであったことから、この地を「多田」と名付けた(※2)とされます。道中に満仲公が矢の行方を問うた場所は「矢問村」に、満仲公が築いた城は「新田城」と名付けられたなど、今に残る地名が登場します。
(※1)九頭伝説は「多田五代記」など江戸時代に書かれた文献に登場します。昭和時代に入ると、「大蛇」を「龍」とする表現や二匹の龍が登場する話などが見られるようになります
(※2)多田地区に鎮座する多太神社は延喜式内社(平安時代に編纂(さん)された「延喜式神名帳」に載っている神社のこと)であり、満仲公が入植する前からこの地が「ただ」と呼ばれていたと考えられます。
◆学べる文化財講座「九頭伝説考」
巳年の今年、蛇にまつわる伝説を通して市の歴史にふれる講演会を開催
日時:9月6日(土)午後1時半―4時
場所:キセラ川西プラザ2階
講師:元市教育委員会文化財専門職員の岡野慶隆さん
定員:100人
申し込み:当日会場へ(先着順)
問い合わせ:生涯学習課
【電話】072-740-1244