- 発行日 :
- 自治体名 : 兵庫県朝来市
- 広報紙名 : 広報朝来 令和7年1月号
■給食は時代と地域を表す‘ベロメーター’
新年あけましておめでとうございます。今年は朝来市誕生20周年の節目の年です。
本年が朝来市に暮らす皆さまにとって素敵な年になることをお祈りします。
明治5年(1872年)に現在の学校制度の始まりとされる「学制」が制定され、約150年が経過し、昨年は市内でも創立150周年を迎えた学校が多数ありました。学校では勉強はもとより運動会や遠足など、さまざまな行事がありましたが、中でも私は毎日違うメニューが並び、ワイワイ食べた給食が今でも心に残っています。
そんな給食ですが、実は歴史は古く、明治22年(1889年)、山形県鶴岡町の大督寺境内にあった私立の忠愛小学校で、生活が苦しい家庭の子どもに無償で昼食を提供したことが始まりとされています。その後、給食は子どもたちの栄養改善のため、国から推奨され広がりをみせましたが、第二次世界大戦による食糧難などのためやむなく中止されました。戦後、食糧難や子どもたちの栄養状況の悪化による、食事に対する国民の声の高まりにより昭和29年(1954年)「学校給食法」が施行されました。これにより、給食の提供はもちろん、栄養バランスの向上が目標に掲げられ、今も栄養士さんが毎日栄養価を考えたメニューを作ってくれています。
さて、明治から始まったとされる給食ですが、そのメニューは時代背景を知る資料にもなります。当初はご飯や汁物、焼き魚などの和食のメニューが主でしたが、海外文化の流入により、シチュー、コッペパンや揚げパン、麺類、そして人気の高いカレーなどが加わったほか、国際化が進むにつれ、イタリアンや韓国料理などさまざまな国のメニューが加わりました。また、今や高級食材のクジラ肉も、反捕鯨の機運が世界的に高まるまでは給食の定番でした。飲み物については、当初は脱脂粉乳が提供されていましたが、後に牛乳へと替わり、容器は器からビンや紙パックへと変化しました。牛乳といえば甘い牛乳用調味料を思い出す人も多いのではないでしょうか?
そして、給食のメニューには地域の特色が現れます。お肉であれば特産銘柄の牛や豚、魚介類であればズワイガニやトラフグ、中にはブラックバスを活用した給食あるようです。朝来市でも岩津ねぎや但馬牛などを使ったメニューが提供されており、我が家でも息子に自慢され、私も食べてみたいと思いました。
このように地域ごとのバラエティーに富む給食ですが、朝来市学校給食センターができるまで、町や学ごとに給食が作られ、メニューがそれぞれ違っていたそうです。また、人気メニューも年代や地域によって変化がみられたようです。そのような事から、来市の給食の歴史を紐解く鍵となるのは、皆さまの頭と舌の記憶だと思います。当時を思い出し、好きだったメニュー、給食にまつわるエピソードなどを出身校、年齢ととにお寄せいただければ幸いです。次の機会に「朝来の給食の歴史」について書いてみたいと思ます。投稿は左記二次元コードまたは文化財課へファックス願います。
※詳しくは本紙をご覧ください。
問い合わせ先:文化財課
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