文化 我がまち朝来 再発見(第211回)

■「虫追う人々」
6月の初めは、二十四節気「芒種(ぼうしゅ)」の初候「蟷螂生(かまきりしょうず)」(6月5日~9日頃)、次いで次候の「腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)」(10日~15日頃)にあたります。この暦を知らずとも、気温も湿度も高くなるこの季節、虫の気配が強くなることを実感する人は多いのではないでしょうか。
蟷螂(かまきり)は益虫として知られていますが、家の中に出てくる蚊やハエといった害虫は、虫好きでもご遠慮願いたいところです。蚊帳(かや)を吊る家はさすがに少なくなったと思いますが、蚊取り線香などはまだまだ現役というところもあるでしょう。ハエ対策としては、人力のハエ叩きや、天井からぶら下がるハエ取り紙、古くは写真のようなハエ取り器などがありました。あの手この手の防虫対策をとるのは、今も昔も同じですね。
農家にとっては、稲を食い荒らすウンカやズイムシなどの害虫は死活問題です。農薬による駆除が主流になる前は、虫送りという行事が行われていました。田に虫が発生し始める頃、松明(たいまつ)の火を掲げ、太鼓や鉦(かね)を打ち鳴らしながら村中総出で行列を為し、田んぼの周辺から村境までを練り歩きます。行列は村境までたどりつくと、虫のついた稲などを燃やして虫を送り出しました。中にはワラで作られたサネモリ人形を作る集落もありました。サネモリとは、平家物語に登場する平氏方の武将・斎藤実盛(さねもり)のことです。一騎打ちの際に稲株につまずいて敗れてしまったため、稲をうらみ、その怨霊(おんりょう)が稲を食う虫になったといわれています。生野町栃原でもこのサネモリ人形を作っていた記録が残っています。かつては朝来市内でも多くの地域で虫送り行事が行われていましたが、栃原でも昭和十七・八年頃、和田山町竹ノ内でも昭和十九年を最後に虫送りは行われていないようです。虫送りの行事は、具体的な防虫対策というよりも、虫を怨霊に見立て、不作の恐怖を虫に託して追い払う神事の一種といえそうです。
「虫」と一口にいっても、私達は腹が立つことを「腹の虫がおさまらない」といったり、予感がすることを「虫が知らせる」というなど、身の内に虫を宿す言い方をすることがあります。また庚申(こうしん)信仰において、普段は人の体内にいて庚申の夜に出ていき、天帝へ宿主の悪事を告げる「三尸(さんし)の虫」も虫の名前をもっています。昔の人々は、今よりも虫に対して多彩なイメージをもっていたに違いありません。
それでは、最後に虫好きのお姫様の話を紹介しましょう。平安時代の物語集『堤中納言(つつみちゅうなごん)物語』のうちの一篇「虫めずる姫君」には、蝶よりも毛虫やカマキリなどが好きな姫君が登場します。召使いに珍しい毛虫を集めさせてはその成長を観察するような姫君で、当然周りからは変わり者扱いされますが、「人々の花や蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ、(略)本地尋ねたるこそ心ばへをかしけれ(人が花よ蝶よと愛でることは考えが浅いことで、(略)元の姿を知ろうとする心掛けこそが趣深いものなのです)」と平気な顔をしています。
虫めずる姫とまではいわずとも、この季節、木陰に物陰に潜む小さな生き物に目を凝らしてみてはいかがでしょう。
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