- 発行日 :
- 自治体名 : 奈良県斑鳩町
- 広報紙名 : 広報斑鳩 2025年8月号
■甲塚古墳(かぶとづかこふん)から出土した銅鏡
先月6日まで開催していた斑鳩文化財センターの春季企画展「斑鳩の古墳をさぐる」に展示していた甲塚古墳の「銅鏡」について紹介します。
◇古代の鏡とは
現代の鏡は、ガラス製のものが多いですが、古代の鏡は、銅と錫(すず)をあわせた「青銅(せいどう)」という合金でできているものが多く、「青銅鏡」や「銅鏡」と呼ばれています。形は、大半が円盤状(皿のような形)で、中央には、「鈕(ちゅう)」と呼ばれる紐(ひも)を通すための穴の開いた半球状の突起が付いています。鈕の付いた面は、実は鏡の裏側(鏡背(きょうはい))にあたります。鏡背にはさまざまな文様がほどこされていることから、博物館などでは文様が見えるように、鏡背を上にして展示しているものが多くみられます。
◇甲塚古墳から出土した銅鏡
甲塚古墳は、藤ノ木古墳の西方約200mの「錦ケ丘」と呼ばれる住宅地が所在する丘陵の東端付近にあります。甲塚古墳から出土した銅鏡は、面径(直径)が、6.0cmと小さなもので、中央の鈕から外側に向かって、重圏文(じゅうけんもん)(三重の円形の文様)、複線波文(ふくせんはもん)(二重の波型をした文様)、鋸歯文(きょしもん)(鋸(のこぎり)の歯のような形をした文様)または櫛歯文(くしはもん)(櫛の歯のような形をした文様)がほどこされています。
◇甲塚古墳から出土した銅鏡の年代
鏡が日本列島に伝来してしばらくすると、日本列島内でも鏡が生産されるようになり、朝鮮半島や中国大陸などで見つかっていない文様や表現などがある鏡は、日本列島内で製作された可能性があります。甲塚古墳の銅鏡も、その文様などから、日本列島内でつくられたと考えられています。甲塚古墳の銅鏡は、「重圏文鏡」(主に4世紀)と呼ばれる鏡のグループに似ていますが、「重圏文鏡」には、甲塚古墳の銅鏡にある複線波文はありません。一方、「珠文(しゅもん)(点が並ぶ文様)鏡」(主に6世紀)と呼ばれるグループにも似ていますが、甲塚古墳の銅鏡には「珠文」はありません。このように、甲塚古墳の銅鏡は、「重圏文鏡」や「珠文鏡」にも似ている点があり、甲塚古墳の銅鏡の年代を、この二種類の鏡の年代の間である5世紀代とする考えがあります。
ただし、甲塚古墳からは、古墳に関連する遺物がこの銅鏡の一面しか出土しなかったことから、鏡の年代については想像の域を超えるものではありません。
問合せ:地域振興課(斑鳩文化財センター)
【電話】0745-70-1200