- 発行日 :
- 自治体名 : 和歌山県高野町
- 広報紙名 : 広報高野 令和7年7月号
山門は、金剛峯寺本坊の表門としての威容を有する大規模四脚門です。金剛峯寺本坊を構成する建物は創建から現在に至るまで焼失と再建を繰り返してきました。これまで本坊を構成する建造物は、真然堂と経蔵を除いて万延元年(1860)の火災により再建されたものと考えられており、山門もこの時の再建とされていました。しかし、近年実施した調査により、延宝8年(1680)に建立された山門が残されていることが明らかとなりました。これは、『高野春秋編年輯録』延宝8年(1680)11月条に「青厳寺上門落成矣」の記録のほか、現在の山門に見られる特徴から判断したものです。
建造物は建てられた時代により、組物等の特徴が異なります。そのことをよく示すものの一つに虹梁に施された絵様があります。山門の絵様をみると、大主殿とは大きく異なりますが、宝永2年(1705)再建の大門の絵様とはよく似ています。このことから、山門が建てられた時代が大主殿に近いのではなく、大門に近いことがわかります。さらに細かくみると、山門の絵様は、大門のものよりも線が細いことから、大門より少し遡るものであり、記録にある延宝8年の建立の山門であることが明らかとなりました。
では山門は、金剛峯寺の多くの建物が焼失した万延元年(1860)の火災に遭っていないのいでしょうか?実は、山門をよくみると火災にあった痕跡が確認できます。山門の北側(大主殿側)の虹梁絵様の渦をよく観察すると、焦げが確認できます。これは万延元年の火災により類焼したもので、その後、材の表面を削ったものの、繰形のなかのため、焦げが除去できず残ったものと考えられます。
大主殿の前にある経蔵(大主殿に向かって左)も万延元年の火災以前の建物であり、山門に似た絵様が見られます。金剛峯寺本坊を訪れた際には、各建物の絵様の違いや、山門に残る火災痕跡の焦げなどについても注意して見ていただきたいと思います。
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