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- 自治体名 : 和歌山県高野町
- 広報紙名 : 広報高野 令和7年8月号
真然堂は、大主殿の裏の山腹に建つ三間宝形造の仏堂で、高野山第二世の真然大徳をまつる廟所です。現在の建物は、嘉永17年(1640)に建立されたものであることが、棟札などから明らかとなっています。では、真然大徳が寛平3年(891)に入寂され、真然堂が1640年に建立されるまでの間、廟所はどのような状態だったのでしょうか?
真然大徳が入寂された後に造営された墓所についての詳細な記録がありません。しかし、平成元年に行った現在の真然堂の解体修理の際の発掘調査や、様々な伝承記録からその変遷をいくらかたどることができます。
まず、伝承としては、入寂から約200年後の状況を示すものとして、『紀伊続風土記』伊都郡高野山部二・青巌寺に「此地舊真然僧正の墓所なり覚鑁上人傳法院を此に建立す」とあり、青巌寺(現金剛峯寺本坊)は、覚鑁上人の建立した伝法院跡にあり、そこには真然僧正の墓所があったことがわかります。このことから少なくとも大伝法院が建立された天承年間(1131-1132)頃には、真然大徳の墓所が現在の金剛峯寺本坊の敷地にあったことがわかります。また別の記録から、その時の墓所は「聖霊堂」と呼ばれ多宝塔であったことがわかります。
それ以前については、記録などが残されていませんが、平成元年の発掘調査によってその内容が明らかとなっています。調査によると現在の真然堂の基壇は、大きく3層に分けられ、現在の仏堂の基壇の下に、多宝塔の基壇、その下には墳墓があり、9世紀頃に製作された骨蔵器の緑釉四足壺が出土しています。ただし、真然廟については覚鑁上人が多宝塔の聖霊堂として整備した際に山に移転したという伝承もあり、今の大主殿の土室の間に真然大徳の廟所跡があったとされます。土室の間には、真然大徳のため愛染明王図像がかけられ、真然床として一部を板間としています。将来、この真然床の下で真然大徳に関連する遺構が確認されるかもしれません。
真然堂は、建築年代が明確なものとしては金剛峯寺本坊で最古の建造物になりますが、金剛峯寺本坊の敷地の歴史変遷を物語る重要な遺構でもあります。
真然堂 変遷図
※詳細は本紙をご覧下さい。
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