- 発行日 :
- 自治体名 : 広島県安芸高田市
- 広報紙名 : 広報あきたかた 令和6年12月号
■シリーズお城拝見[第93回]相合元綱と相合の城(吉田町相合)
歴史民俗博物館 副館長 秋本 哲治
今年は毛利元就の異母弟、相合元綱が1524年に亡くなって500年。歴史民俗博物館では、講演会など関連イベントを開催しました。今回は、謎の多い元綱と、その拠点であった相合に残る城跡を紹介します。
※詳しくは本紙をご確認ください。
◇相合の城跡
相合地区は南側の平野部に多治比川が流れますが、大部分は山林です。中世吉田荘の西端部にあたり、戦国期から地名が見られます。城跡は[A]宮崎城、[B]甲田城、[C]光井山城がありますが、吉田との字界に[D]船山城と多治比との字界に[E]風越山城がそれぞれ残ります。その他、[F]後相合の尾根上に粗い小平坦地群が残っています。[D]を除き、いずれも郡山合戦時(1540年)の尼子軍の陣跡と考えられます。逆に、地元の領主の城跡がほとんど確認できないともいえます。
◇元綱ゆかりの史跡
毛利元就の異母弟元綱は「相合殿」と呼ばれ、相合に拠点があったようです。謀反の疑いで元就に粛清された元綱の城とされるのが[D]船山城で、脇には元綱を祭る船山神社があります。また、吉田運動公園の近くには彼の墓所伝承地が残ります。
◇元綱の城は船山城か
船山城は相合と吉田の境に当たり、本拠としては違和感があります。一方、宮崎神社が元綱事件で焼けた記録があり、墓所伝承地の位置からも、この付近に屋敷があった可能性があります。