文化 安芸高田歴史紀行

■シリーズお城拝見/第95回 有留・保垣の城(向原町有留・保垣)
歴史民俗博物館 副館長 秋本 哲治

安芸高田市の南端に当たるのが、向原町の有留・保垣地区です。両地区は明治期から有保村となっており、結び付きの強い地域でした。今回はこの両地区を調査し、人里のすぐ近くに多数残る城跡群を紹介します。

◇中世の有留・保垣
中世の有留と保垣は吉田荘内の豊島(としま)郷内にあり、有留(現安佐北区白木町有留を含む)は「有富(ありどみ)」と呼ばれていました。南北朝期に当時の毛利氏当主だった元春の弟直元とその子孫がこの地に土着し、有富氏を名乗ったと伝わります。しかし有富氏の実態は不明な点が多く、一方で戦国期には有富に志道氏(坂氏の分家)、保垣に元厳島神主家家臣で後に毛利氏に仕えた羽仁氏がそれぞれ居所を置いたことが知られています。

◇保垣の城跡
保垣地区ではA〜Gの7か所を確認しました。分布の密度は高く、低い丘陵上の小規模な城跡が多いのが特徴です。BCDは同一丘陵上にあり、一体的な城であったとも考えられます。見坂川を挟んで西側のFは羽仁氏の屋敷跡とも考えられ、Eとはわずか300mです。一方、Gは比高150mで保垣では最も高い山城です。

◇有留の城跡
有留地区ではH〜K、および古吹城(Jから1km余り南)の5か所が確認できています。実藤(さねとう)氏の城と伝わるHは丘陵上に残りますが、後に畑地化されたようです。平地に細長く残るIは、志道氏の屋敷跡と伝わります。JとKは「城(ジョウ)」と呼ばれていましたが、Kは開発により消滅しています。有留地区も小規模で低い丘陵上の城が多いのが特徴です。白木町志路が本拠であった毛利氏重臣志道氏の、もう一つの拠点が有留であったと考えられます。

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