- 発行日 :
- 自治体名 : 山口県長門市
- 広報紙名 : 長門市広報 知っちょこ 令和7年8月号
昭和20年8月15日の終戦ののち、日本政府は、中国や朝鮮半島などに残された膨大な数の日本人を速やかに帰国させる大事業に取り組みました。海外にいた人たちは、住まいやお金を失い、命の危険と隣り合わせの中、日本に帰国しなくてはなりませんでした。このことを「海外からの引揚」といいます。
今回の特集では、当時を生きた体験者の証言を紹介します。先人たちの思いを知ることで、次世代に何を伝えるか、平和の大切さについて考えてみませんか。
◆やっと戦争が終わって、家族がそろってこれからは家族のために働くんだ
髙見 幸雄さん(日置雨乞)の証言
私は、韓国の全羅北道で生まれました。2歳の頃に父は出征したため、父の顔を覚えておらず、終戦で父が日本に帰還し、初めて顔を見たことを覚えています。
朝鮮では、出征した父に代わり、母が裁縫の仕事をして生計を立てていました。近所に住んでいた伯父さんが気にかけて度々我が家に来てくれていました。終戦後、近所にアメリカ軍が駐留しました。アメリカ兵が洗濯物を近隣住民に頼んでいたようで、我が家にも、大きな袋をかついだアメリカ兵が来ました。洗濯のお礼にもらった缶詰はおいしかったです。
やがて、母や姉たち家族とともに仙崎港に引き揚げ、広島の母の実家に帰りました。帰る列車の中で向かい合わせたアメリカ兵からガムをもらい、お礼を言うと、頭をなでられたことの記憶が鮮明に残っています。
当時は子どもだったので、経緯はよくわかりませんでしたが、家族は、日置の雨乞に入植しました。朝鮮や満州方面からの引揚者・十数家族が雨乞に住み始めました。雨乞での開拓生活は、筆舌に表現できないほどの苦難との戦いでしたが、親たちは子どもたちにひもじい思いをさせないために頑張ってくれました。
先輩たちが試行錯誤の末、苦労して始めた造林用苗木生産を今でも続けています。親世代のお陰で、80年以上も雨乞で暮らしが続けられていることに感謝の気持ちでいっぱいです。
◆仙崎の婦人会がつくってくれたワカメむすびの味が忘れられない
坂本 史朗さん(西深川)の証言
北朝鮮東部にある元山で終戦を迎えました。終戦時、私は11歳で、父はすでに病死し、兄は戦地に行っていたため、母と姉の3人暮らしでした。戦時中は防空壕を掘ったり、ストーブの燃料となる松かさを拾ったり、松の油とりをしました。学校では、精神教育の一環で、氷点下のなか朝礼を行っていました。
戦争が終わった後、北朝鮮内にソ連が侵入してきたため、私たち家族は元山から出ることができませんでした。ソ連兵に見つからないように、若い女性は髪を短く切るなど男装をしていました。
昭和21年5月に本土への引揚が決まり、家族3人で列車に乗り、京城(現在のソウル)に向かっていたものの、途中で日本人全員が降ろされ、ソ連兵から元山に戻るように命令されました。
待機場所となった市場で一夜を明かすように指示されましたが、ソ連兵の目を盗んで脱走しました。途中、写真やお茶まで強盗に盗られましたが、京城まで三日三晩歩き続けて助かりました。
5月21日に興安丸で仙崎港に引き揚げました。仙崎で薬剤のDDTをかけられたことが衝撃でしたが、それ以上に婦人会からふるまわれたワカメむすびの味が忘れられません。
「戦争は二度とあってほしくない。戦争とは、敗戦とは…」国を想っていた大きな使命感が崩れゆく日々でした。仙崎港への引揚は、戦後の再出発の日と思っています。
◆娘は親孝行してくれた おしめも洗わずに済んだ
伊藤 三枝子さん(山陽小野田市)の証言
引揚船が仙崎に着いたとき、どんなにありがたく、どんなに嬉しかったことか。仙崎が夢のような町に思えました。内地に帰れた、ふるさとに帰れた、私は北朝鮮で越冬して、とにかく生死をさまよって帰ってきたのです。
冬の北朝鮮を夜な夜な歩きました。昼間はソ連が爆撃するので山に隠れ、夜になると手探りで、みんな散り散りに歩いて、やっと北緯38度線を越えました。
引き揚げる途中に娘を出産しました。主人は娘が生まれる前に出征していました。私は、栄養失調のためにお乳が出ないので、重湯を脱脂綿に浸して飲ませ、背中に背負って市場に行き、おにぎりを売って、何とか明くる日のお金を調達していました。
昭和21年1月5日の夜。自分の胸を触ると、発疹チフスにかかっていることがわかりました。感染する病気なので、明日の朝、誰に娘のおしめを洗ってもらおう、気の毒だなあと思っていました。
次の日の朝、目が覚めたら娘が冷たくなっていました。娘は親孝行してくれた。おしめも洗わずに済んだと思いました。当時は、いろんな悲劇が続きました。娘の母子手帳は今も持っています。
京城から釜山まで行き、釜山から興安丸に乗って仙崎に引き揚げました。実家のある俵山まで歩いて帰り、母や弟に会うことができました。母は私が生きて帰ると思っていなかったらしく、夢の再会を果たすことができました。
■ヒストリアながと企画展
◇ながとに残る戦争の記憶
7月5日(土)~11月9日(日)9:00~17:00(入館は16:30まで)
新たに寄贈いただいた資料や写真の展示のほか、「帰還者たちの記憶ミュージアム(平和祈念展示資料館:東京)」での展示内容の一部を、ヒストリアながとでサテライト展示する特別企画展として開催します。
◇関連イベント
※1)・2)は定員20人で申込制
申込はヒストリアながとへ(8/15〆)
1)「今、語る。あの日の私の記憶」
8月21日(木)10:00~11:30
会場:長門市立図書館
2)学芸員と行く戦跡めぐりバスツアー
8月24日(日)9:30~12:00ころ
会場:ヒストリアながと
3)引揚の地をめぐる歴史散歩
9月~10月
開催予定
住所:長門市東深川2660番地4
【電話】22-3703
休館日:月曜日(祝日の場合翌日)
■ルネッサながと企画展
◇引揚港・仙崎展
8月23日(土)~9月2日(火)
9:00~17:00
会場:ルネッサながと
ニュージーランド軍が撮影した記録写真などにより、激動の時代を振り返ります。
■香月泰男美術館企画展
◇戦後80年 香月泰男 戦争の記憶・[私の]地球
7月2日(水)~9月28日(日)
9:00~17:00(入館は16:30まで)
会場:香月泰男美術館
香月泰男の画業に影響を与えた従軍・抑留体験の記憶を描いた作品を中心に紹介。
[特別展示]「香月泰男のシベリヤ・シリーズ」同時開催