- 発行日 :
- 自治体名 : 徳島県美波町
- 広報紙名 : 広報みなみ 2025年4月号
美波町の各所に残る文化財や史跡を写真とともに紹介していきます。
■東北・三陸の海へも進出した美波の漁師
明治35年(1902)、志和岐の楠本勇吉は当時大阪船といわれた帆船(櫓漕ぎ船)で、親子2人で一本釣りを試みつつ、岩手県三陸沿岸へ漁場視察に行った。そこで大船渡の漁師と出会ったが、その漁師は楠本親子の一本釣り漁法が画期的であるのに驚き大船渡に招かれた。楠本はそこを根拠地として一本釣りを操業しつつ、数多くの地元の漁師たちにテンテン釣りと呼ばれるこの漁法を指導した。さらに楠本はこの海域が漁場として有望であるのに気付き、翌36年(1903)には漁船2隻を神戸から取寄せ、多数の船員を雇って操業した。日露戦争のため一旦志和岐に帰ったが、同38年(1905)には再度出漁、大正初めまで続けた。楠本勇吉の人柄や技術、さらに地元漁師への指導の功績は大きく認められ、明治44年(1911)には気仙郡長から感謝状が贈られ、さらに大正6年(1917)には大船渡港を見渡す丘の上に立派な功労記念碑が建てられた。また昭和46年(1971)には、大船渡市の小学校社会科副読本に「楠本勇吉と大船渡の漁業」として大きくその功績が紹介されています。
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