文化 The Strawberry Schooner

■ジョンソン アンドリュー・ブレイディ
アメリカで最も衝撃的なバレンタインデー(前編)

アメリカはこれまで27回憲法が改正されています。その中で、皆さんにご紹介したい条文が二つあります。
一つ目は、1919年1月に批准されたアルコールの製造と販売の禁止です。禁酒法と呼ばれ、アメリカでは約12年間施行されて廃止となりました。そのような禁止令のないカナダからのアルコール密輸は瞬く間にアメリカ国内で広がりました。ミシガン湖の主要港であるイリノイ州シカゴ市は、違法な酒類取引の中心地となりました。犯罪組織は、カナダで集荷した酒を、シカゴの広大な鉄道網とトラック輸送インフラを利用して、酒を全国に流通させました。
違法にもかかわらず、禁酒法時代もアルコールの消費は拡大しました。禁酒に人々の支持が得られなかったからです。禁酒法の成立は、強烈な宗教的少数派の理想にほかなりませんでした。この裏には、その禁酒法推進派のある計画が隠されていました。
20世紀初頭、女性参政権運動も勢いを増していました。長い間選挙権を否定されてきた女性たちが声を上げたのです。運動は主要な政治勢力となり、禁酒法推進派はこれに注目しました。推進派は、「アルコールの影響で本当に苦しんでいるのは誰なのか?家庭の貧困、家庭内暴力などに苦しんでいるのは誰なのか?」と主張し、その戦術は大成功を収めました。修正第18条(禁酒法)は1919年に成立しました。翌1920年、修正第19条はついに女性に選挙権を与えました。
つまり、この2つの修正案(第18条と第19条)は、ほぼ同時期に20世紀のアメリカの入り口に立ち、一方(女性の参政権)は多くの支持を集め、もう一方(禁酒法)はその人気にしがみついているにすぎませんでした。真の意味で国民の支持を得られていない憲法の一部による災いは、1929年の聖バレンタインデーにシカゴの車庫で起こることになりました。来月につづく…