文化 佐田岬民俗ノート 241

◆「三崎の防空監視哨」
航空機の登場などにより戦争の形が大きく変わった近代後半、強固な防空監視が必要とされる中、昭和12(1937)年に防空法が施行され防空監視哨(ぼうくうかんししょう)(防空監視のための施設)の建設がすすめられました。昭和16(1941)年11月以降は24時間体制の監視が行われるようになりました。
佐田岬半島には三つの防空監視哨がありました。伊方地域・堂堂山付近に十二番伊方監視哨、瀬戸地域・三机の遠見山に三机監視哨、三崎地域・伽藍山の山頂(現・伽藍山展望台)の三崎監視哨です。
防空監視哨には聴音壕(ちょうおんごう)とよばれる施設が設置されました。三崎監視哨の聴音壕は直径が5~6m、深さは2m程度。聴音壕内部の椅子に哨員が座って空の音を聞き取り、近辺で爆音(飛行機の音)が聞こえると、「〇〇方面で爆音が聞こえた」と三崎村役場に電話で伝えていたようです。哨員には二名津・松・明神・三崎・井野浦・大佐田・高浦など地元の青年が就き、徒歩で通勤していました。
また、終戦の2年程前からは機銃掃射で哨舎が被弾したこともあり、その後偽装として屋根瓦の上へ土をかぶせて草を植え、周りに自然石で石垣を築いたそうです。
なお、聴音壕の建築部材として、三崎監視哨では鍰煉瓦(からみれんが)(銅製錬の過程で排出される鍰でできた煉瓦)が使用されています。これは銅精錬が盛んに行われていた佐田岬半島の特色であるといえます。

参考資料 多田仁 高嶋賢二 2019「三崎監視哨の記録」『町見郷土館研究紀要』5号