- 発行日 :
- 自治体名 : 愛媛県松野町
- 広報紙名 : 広報まつの 令和7年10月号
河後森城の発掘調査では、道の途中や曲輪(くるわ)(城内の平坦部)の出入口で多くの門の痕跡を発見しています。その数は、城の中心部の本郭(ほんかく)周囲で3基、西側の西第十曲輪で1基、東側の古城近くの堀切(ほりきり)の底付近で6基の合計10基であり、すべてが岩盤を掘った穴の中に直接柱を埋め込んでつくる掘立柱(ほったてばしら)と呼ぶ構造でした。そして、この城門のほとんどは、2つの柱穴を使って建てられており、二本の門柱に屋根や内開きの扉がつく「棟門(むなもん)」と呼ばれるタイプとなっています。
しかしながら、わずかに例外も存在します。その一つは、棟門と同じく2本の門柱を使用しているものの、門の置かれた位置が平坦な場所ではなく、上り道の途中にあるタイプです。これは古城近くの堀切の底付近で発見した中の1基であり、この場合、門の内側が上り坂になっているため扉を内側に開くことができません。ここで想定されるのは、門の上から戸を吊り下げ、突上(つきあ)げ棒を使って外側に開閉する「上(あ)げ簀戸門(すどもん)」と呼ばれる城門であり、実際に「大坂冬の陣図屏風(びょうぶ)」の中にも描かれた事例が認められます。
(続く)
