スポーツ 愛顔つなぐえひめ国体 第72回国民体育大会

■~君は風いしづちを駆け瀬戸に舞え~ 思い出と今
昨年「えひめ国体で民泊していた子が地元紙の取材で鬼北町の事を話している。」と情報をいただいたことがきっかけで、この特集が決まりました。鬼北町での経験が夢や目標のきっかけとなり、当時の思い出やご縁が今も続いていることをうれしく思います。

・受入が決まった時は不安ばかりで、地域で協力しながら準備をしました。「やるしかないでしょう!」と力強く言ってくれた地域の方には心から感謝しています。

・選手団がどのようなチーム、子たちが来るのか楽しみでもありました。当日お出迎えをすると、かわいい子ばかりで、地域に活気が出たような気がしました。

・練習や試合から帰ってきたら自分の家のようにくつろぎ、昼寝をしている姿を見て、嬉しく思うとともに、試合が終わるまでは集中を切らさないように配慮するなど、地域、家庭で一丸となってサポートをしました。選手たちはしっかりと挨拶ができ、食事も“美味しい”と言って残すことなく食べてもらいました。

・毎晩願懸けにお寺の階段を登る姿、レギュラー選手のユニフォームを1学年先輩の控え選手が洗う姿が今でも鮮明に思い返されます。
試合観戦では、応援方法を教えてもらい、選手団のチームカラーで応援席を染めて、声を枯らせて声援を送りました。

・試合に勝って帰って来た時には、ハイタッチをして出迎えました。国体の開催は地域住民同士のつながりができ、大変有意義で感動のある大会だったと思います。

・試合に勝って帰って来た時には、ハイタッチをして出迎えました。国体の開催は地域住民同士のつながりができ、大変有意義で感動のある大会だったと思います。

・最後の夜には、「最後の晩餐」ということで、盛大にパーティーをして、楽しい時間を過ごしました。

・滞在中のおもてなしに感動し、抱き合って感謝を伝えてくれる選手が多くいました。

・選手が帰ったあと、布団に置いてある手紙や背比べをした柱を見るたびに、人生の大きなイベントの一つだったと思い出します。

・えひめ国体後は、受入選手団の応援に富山や東京、北海道などに駆けつけ、選手と交流を続けています。また、自然災害の度に連絡をしたり、旅行で鬼北町に来てくれたりと、再会をしている家庭もあるようです。

・現在は、実業団で活躍している選手、高校の教師や保育士、介護福祉士や行政職員、警察官になった方、結婚をして新たな家庭を築いている方など様々ですが、出会いをきっかけに人と人とのつながりの大切さを感じています。

・2019年に日本代表に初選出された関選手がインタビューで「えひめ国体での出来事が、高校生活の一番の思い出」と話していました。

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この度は突然の依頼にも関わらず、多くの皆様にアンケートのご協力をいただきまして、誠にありがとうございました。
皆様のお声を紡いで特集としました。

■大阪府選手団のコメント
「練習は嘘をつかない」
「勝つということは自分たちがバレーを続けるために支えてくれている人に恩返しをするということ」

■青森県つがる市 野呂加南子
初めての民泊で、行く前からとてもワクワクしたのを憶えています。鬼北町の方が本当に温かく迎え入れてくださって、国体期間中は毎日試合から帰ってくるのが楽しみでした。試合も私たち東京都を応援してくださって、毎日一緒に戦ってくれました。負けた時も一緒に悔しがってくれて、『優勝したかったな』って…。東京へ帰る日、朝から悲しくて帰りたくなかったです。皆さんが温かくて優しくて家族のように感じました。『鬼北町って、愛媛って素敵だな、また来たいなぁ。』と思いました。(国体から数ヵ月は携帯の待ち受け画面を、鬼北町のみなさんと撮った写真にしていました(笑))東レアローズに入団後も試合の度に応援メッセージを送ってもらい、愛媛で試合があった時は、直接会場まで見に来てくださいました。高校・東レアローズ時代の同期の石川真佑、大﨑琴未とは、『いつか愛媛いこうね』と話しています。去年から地元の青森県で公務員をしています。来年青森県で国スポがあるので、まずはそれを無事に成功させられるように頑張っていきたいです。えひめ国体のように、選手の思い出に残るような大会にできればなと思っています。
えひめ国体の際は、本当にお世話になりました。民泊を受け入れること自体、勇気のいることだったと思います。会ったことのない私たちを快く迎えて、おもてなしをしてくださり、本当にありがとうございました。大会の結果以上に、えひめ国体は素敵な思い出になりました。いつかまた愛媛、鬼北町に行きます!優しくて温かい鬼北町のみなさんが大好きです。

※現在、青森県つがる市役所国スポ・障スポ推進室で活躍されており、今回の広報掲載について、快諾し、ご協力いただきました。