文化 ゆくはし今昔物語

市制70周年を迎えた行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。
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■~Vol.23 今川河川敷
桜花爛漫。今年も今川の土手では桜が咲き誇り、昨今の美夜古青年会議所によるライトアップも行橋の春の風物詩になりつつあります。また河川敷には菜の花が咲き、ピンクとイエロー、そして蒼天とのコントラストは、陽春の日差しに包まれて心が晴れ晴れと明るくなるような、私たちをそんな気分にしてくれます。今回は今川河川敷の今昔を見ていきましょう。

◇1933年/昭和8年 今川と豊国橋
昭和8年(1933)7月15日。江戸時代以来長く使われた中津街道に替わり、新たな国道(旧国道10号、現在の県道28号直方行橋線)が開通し、今川には鉄筋コンクリート造の豊国橋が架けられました。
その当時の今川は上流から運ばれてきた山砂が両岸に堆積し河川敷を成しており、川幅やその深さも現在のように均一ではなくまばらでした。
当時の今川には下流より今井渡橋、豊国橋、今川橋(木橋)、京都橋(木橋)、天生田橋の5つの道路橋と汽車が渡河する今川橋梁がありました。

(本紙写真)現在の今川橋の北側より今川と完成したばかりの豊国橋を眺めた古写真。今川の土手(現在の福岡県道34号行橋添田線)は未舗装であることが分かる。豊国橋の後にみえる山影は沓尾山。

◇2025年/令和7年 春爛漫の今川河川敷
戦後、昭和30年代末より高度経済成長期を迎えると、河川敷にはセイタカアワダチソウやカヤなどの雑草が生い茂り、ゴミの不法投棄が相次ぐなど、河川敷の管理は大きな問題を抱えていました。そこで立ち上がったのが、昭和40年(1965)に川島区長に就任した南大橋在住の野田徳治でした。
野田は豊国橋から今井渡橋までの今川右岸800ⅿの草刈等の作業を朝夕毎日続け、コスモスと菜の花の植栽を始めました。その後、昭和48年(1973)にはサイクリングロードが完成し、今川河川敷の景観は一変しました。

野田の地道な活動は、市民の環境美化に関する意識を変え、雑草が生い茂っていた今川河川敷を市民の憩いの場に育て上げ、平成5年(1993)6月にはその功績で、日本河川協会から河川愛護の全国表彰を受けます。その間、「今川を守る会」や「行橋市花とみどりの会」などが発足。「行橋市花とみどりの会」は昨年発足40周年を迎え、一会員でもあった野田の想いは令和を生きる我々の心に継承されています。

(本紙写真)野田徳治が永年にわたり草刈、除草、植栽などの作業を行った今川右岸(豊国橋から今井渡橋の間)の現在。