- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県筑紫野市
- 広報紙名 : 広報ちくしの 令和7年2月号
■其の百十
日本遺産の世界 in 筑紫野
大宰府南東(だざいふなんとう)の大土木工事(だいどぼくこうじ)~前畑遺跡土塁状遺構~
西鉄筑紫駅西口周辺は、平成9年から始まった土地区画整理事業により現在は閑静な住宅街が広がっていますが、千数百年前にも大土木工事が行われていたことをご存知でしょうか。
土地区画整理事業に伴い実施された発掘調査で、古代の土塁状遺構(人工的な積土)が発見されました。前畑遺跡の土塁状遺構は、丘陵(小高い山)間の低地や谷をふさぐ水城とは異なり、丘陵上に築かれ、その規模は500mを超えます。
当時は、ショベルカーやダンプカーなどは存在せず、土の運搬や掘削などを行うにはほぼ人力に限られていたはずです。丘陵上での作業は平地での作業以上に負荷がかかり、多くの人と期間を費やした大土木工事だったことでしょう。
なぜ、この場所で大土木工事が行われたのでしょうか。当時の歴史的背景をみると663年に朝鮮半島でおこった白村江の戦いが影響していると考えられます。唐・新羅連合軍に敗北した倭(日本)は報復を恐れ、国土防衛を強化していくのです。
その一環として、九州の重要拠点である大宰府の周囲に、大野城や水城、基肄(きい)城が築かれました。前畑遺跡の土塁状遺構は、水城や古代山城などとともに大宰府の外郭線を構成していたものと考えられます。
現在の平和な光景からは想像できませんが、当時の国家間の緊張関係の影響を受けた大土木工事が、大宰府南東のこの場所で行われていたのではないでしょうか。
問合せ:文化財課