文化 文化薫道(ぶんかくんどう) 〜文化の風が吹くまち ちくしの〜

■其の百十五
豊作(ほうさく)への祈(いの)りを鹿(しか)に託(たく)して
~銅戈(どうか)に表(あらわ)された鹿(しか)~
現在は住宅地となっている光が丘では、団地造成に伴う発掘調査で、「鹿」が表された銅戈(どうか)が見つかりました。銅戈は弥生時代の祭祀(さいし)に用いられたものと考えられています。
弥生時代の土器や銅鐸(どうたく)などには絵が描かれていることがあります。絵の題材は、人物や建物、猪、鳥、記号などがあり、なかでも鹿は多く描かれています。なぜ鹿が描かれることが多いのか、はっきりしたことはわかっていませんが、大陸から伝わった稲作とともに、特別な動物として伝わったとされています。
鹿は、角の生え変わりと稲作の発芽から刈り入れまでの周期が同じことから、稲作を表している動物として信仰の対象となったという説があります。また、鹿が表された銅戈は、今でこそ錆(さ)びて青緑色ですが、弥生時代は収穫前の稲穂のように黄金色に輝き、豊かな実りを連想させるものだったのかもしれません。
祭祀の道具だった銅戈に鹿を描くことで、豊作をもたらす神に祈りを捧げていたのでしょう。鹿の描かれた銅戈は、筑紫野市歴史博物館に展示しています。ぜひ、ご来館ください。

問合せ:文化財課