文化 大宰府の文化財vol.483

■中国で作られた瓦〜太宰府天満宮遺跡出土瓦〜

平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、博多は日本最大級の貿易港として賑わっていました。当時の中国王朝である宋との貿易(日宋貿易)では、中国で作られた陶磁器など様々なものを輸入しました。その中でも石造物と瓦は宋の商人と関係のある場所を中心に供給されていたとの指摘があります。太宰府市内では観世音寺に伝わる宋風獅子(そうふうしし)像(国の重要文化財)、宝満山中で祀られていたという伝承のある薩摩塔などが知られていますが、これと並んで挙げられるのが太宰府天満宮出土の中国製瓦です。
中国製瓦の特徴は、(1)使用される土に混入物が少なく、とても細かな層がたくさん重なっていること、(2)瓦の成型時に使用する工具で縄状の文様を施文すること、(3)軒瓦に施される文様が特殊であることの3つが挙げられます。この特徴の中でも軒瓦の文様は日本の瓦との違いが一目瞭然です。花卉(かき)文と呼ばれる花をモチーフに描く文様が施され、花弁だけでなく茎などの表現もされるため、斜めあるいは横から見た構成をしています。軒平瓦は、押圧波状(おうあつはじょう)文と呼ばれる文様が施されます。この文様の特徴は、型を使用せず、工具で線を引き、下側の波状文を指で押さえて施文することです。これらの軒瓦の文様を調査した結果、中国浙江省(せっこうしょう)寧波(ニンポー)で製作された瓦に同じ文様の瓦が見つかっており、寧波で作られたのち海を渡って日本に持ち込まれたことが判明しました。この瓦は12世紀に使用され、13世紀には輸入しなくなり、日本への供給は途絶えました。
ここまで特徴的な中国製の瓦がなぜ太宰府天満宮で出土するのか、この点についてははっきりとしていません。12世紀ごろの周辺寺院すべてに供給されたわけではなく、福岡市に所在する筥崎宮、櫛田神社周辺など沿岸部に、中国製瓦が集中して出土しています。特に櫛田神社周辺は宋商人の居住域が近くにあり、祠堂(しどう)のような建物が置かれたため、多量の中国製瓦が出土すると推定されています。福岡平野奥地にある大宰府で同様の状況とは考えづらく、宋風獅子や薩摩塔が見つかっていることから、貿易の拠点であった大宰府にある寺社も宋商人と強く結びついていたと考えられます。また太宰府天満宮内での出土量は少量であるため、屋根の補修のために貿易で入手した貴重な瓦を使用したとも考えられるでしょう。

文化財課
福盛(ふくもり)雅久(がく)