文化 ふるさと再発見 広川町郷土史研究会

■広川町にある巨樹・珍樹 その8
○石人山古墳には、県内では珍しいヤマモガシが自生
ヤマモガシ(山茂樫)という名前は、モガシ(モガシ科、ヅクノキとも)に葉が似ていて、山地に生えていることにちなむといいます。
まったくもって地味な樹木なので、ほとんど気にかける人はいないのではないでしょうか。
樹木調査の結果、石人山古墳に10本ほどの自生を確認することができました。その中で一番大きいものは、
樹高 約8メートル
推定樹齢 約100年
幹周 1・2メートル
を測ります。
夏に白い総状花を咲かせ、秋に、楕円形をした黒い実をつけますが、ほとんど気づく人はいないのではないでしょうか。
そんな地味な樹木でも、ここだけにしか無いとなると話は違います。
原田萬吉(はらだまんきち)(1871~1943年)が残した記録に、「10数本あったが、大正初めには数本になり、その後伐られて全滅した」とあります。
大正11年(1922年)前後に陸軍が、塹壕(ざんごう)(敵軍の攻撃から身を守るための堀や穴)を掘った(梅原末治「筑後国一條石神山古墳調査報告」、「史學」第九巻所収)ことも分かり、原田の記録とも一致します。石人山はその時期に一旦は、ほとんどの樹木が軍事的理由で、伐採されたと考えられ、その後に自生した樹木が、現在の姿であり、墳丘上の樹木年齢はおおむね等しく、100年ほどと理解します。
あわせて紹介して置きますと、墳丘後円部の南斜面には、盗掘かと見間違われる窪みが残っていますが、盗掘痕ではなく、この時に掘られた塹壕の痕跡です。
前述した原田の記録によるとヤマモガシは、古墳の西側参道登り口の「石人山切り通しより西側には、自生は見られない」とも記されています。このことからこの樹木は、ある一定の自生条件に合致する場所にしか、育たないのかもしれません。
植生とは、このように微妙なものなのでしょう。

■広川町古墳資料館だより
京都大学総合博物館には、大正13年(1924年)に京都大学の梅原末治博士が調査した際の石人山古墳から出土した埴輪が所蔵されています。石製武装石人が装着している単甲(たんこう)・草摺(くさずり)の破片や家・人物・動物など、さまざまな埴輪があったことがわかり、石人山古墳の被葬者像が推察できる貴重な資料です。