- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県添田町
- 広報紙名 : 広報そえだ 令和7年8月号
■記録から見える再建工事の財政状況
平成29年に国の史跡として文化財指定を受けた英彦山の山頂に存在する英彦山神宮の上宮社殿は、英彦山の歴史的価値を示す貴重な建物です。今回は記録に残る江戸時代の上宮社殿再建工事にまつわるお財布事情を紹介します。
英彦山神宮では長年の風雨で部材の腐食や、地震の揺れで基礎部分にズレが生じるなど、上宮社殿に倒壊の恐れがあるため、保存整備工事に取り組んでいます。上宮社殿は、これまで何度も再建工事や修復工事が行われており、現在の社殿は江戸時代の天保年間(1830〜1844)に再建されたものです。この再建工事の記録を見てみると、建物は丈夫に造られたようですが内部には彫り物などの彫刻物がなく、伝統的な社寺建築とは異なる姿となり、英彦山の人々が嘆いている様子が書かれています。これは再建工事を担った佐賀藩の鍋島家が、黒船などの外国船への対応に多額の費用を要し、財政状況が厳しくなり、十分な資金を確保できず、装飾品まで手が回らなかったためのようです。
その一方、英彦山も財政的にとても厳しい状況でした。天保12年(1841)に佐賀藩から借り入れた米代金の支払いが滞っており、再建工事の記録には佐賀藩の役人から、たびたび米代金の支払いを求められています。そして、米代金の支払いがすべて終わらなければ再建工事を進めることができないと伝えられました。そのため、英彦山では山内の立木を売却して米代金を工面する様子が書かれています。また、英彦山は上宮社殿の地鎮祭で用いるお盆や机、ロウソク立てなどの祭具についても、佐賀藩へ新調を依頼して道具をそろえ、祭典を執り行ったようです。そして、祭典終了後には祭具を山頂に埋めたことも記録されています。
今回、上宮保存整備工事では山頂の遺構や遺物を破壊しないように、掘削範囲をできる限り最小限にとどめたため、これまでの確認調査では何も発見されませんでした。今後も社殿の繁栄を願い埋められた祭具は、山頂のどこかで人々の想いを大切に護り続けていることでしょう。
文・西山紘二学芸員(商工観光振興課歴史文化財係)
参考文献:『佐賀県近世史料』第十編第六巻 佐賀県立図書館(平成30年)
問合せ:役場商工観光振興課歴史文化財係
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