- 発行日 :
- 自治体名 : 佐賀県鳥栖市
- 広報紙名 : 市報とす 令和7年3月号
■「勝尾城(かつのおじょう)を知る」第13話―勝尾城主筑紫氏の居館―
勝尾城主の筑紫氏の居館は、勝尾城(城山・標高498m)の南麓の狭長な谷の最奥(さいおう)(標高210m)にあります。
筑紫氏の館に関する戦国時代の史料は確認されていませんが、江戸時代に描かれた『筑紫家史料・肥前州基肄郡勝尾山筑紫広門公城跡之図(きいぐんかつのおやまちくしひろかどこうしろあとのず)』の中に「此両峯(このりょうみね)ノ際(きわ)、平坦処筑紫家館舎有(へいたんところちくしけかんしゃあり)之(これ)タルヨシ、今以土人此処(いまもってどじんこのところ)ヲ御(お)タチト称(しょう)ス」と記されています。この「御タチ」は城主筑紫氏が日常を送り、領地支配を行う政治の場でしたが、合戦となると城主は急峻(きゅうしゅん)な山上の勝尾城に移り防衛戦に臨みます。
筑紫氏の館の出入口(虎口(こぐち))は石積みで造られた枡(ます)形状で、館前面(南側)には小規模な平場(平坦地)が数段連なり、外郭線は高さ約10mを超える切岸(きりぎし)(人工的な急斜面)が築かれるなど、強固な防御構造となっています。
館の中心部は、南北に約80m、東西に約65mの平場で屋敷(邸宅)や庭園などがあったと推定されています。
平成7年度と11年度に行った発掘調査では、戦国期の瓦が多量に出土したことから、瓦葺(かわらぶき)の建物があったことは確実視されています。また、令和5年度の発掘調査では、館の南東隣接地を調査し、石積みを伴う平場や通路の遺構が発見され、館本体を守衛するための施設と考えられます。
これまでの発掘調査で出土した遺物は瓦をはじめ硯(すずり)、銅銭、漆塗りの椀(わん)、陶磁器類、灯明皿など多種にわたり、時期は16世紀後半代の戦国時代で、勝尾城の最後の城主である筑紫広門の時代に整備されていたことが分かっています。
(鳥栖市誌第3巻第5章第2節より)
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