文化 おぎの歴史探検隊

■鍋島藩のピンチ救った僧侶・閑室元佶(かんしつげんきつ)
小城郷土史研究会/著

閑室元佶は、関ヶ原の戦いで西軍の豊臣方に付いた鍋島藩が危機に陥った際、東軍の徳川家康(とくがわいえやす)に懇望して改易の危機を救ったとされています。この人が小城の出身とご存じでしたか。
元佶は天文16(1547)年、千葉胤連(ちばたねつら)家臣野辺田伝兵衛(のべたでんべえ)の子として小城町晴気円光寺で生まれました。後の鍋島藩祖・鍋島直茂(なべしまなおしげ)が養家の千葉氏から実家の鍋島氏に復籍する際に、伝兵衛も直茂の家臣になっています。「生誕の地」として円光寺公民館前の十字路北東に、高さ数10cmの白い木柱が立っています。表面が風化していて正面の文字は読めませんが、側面は「…町教育委員会」と判別できます。
元佶は永禄6(1563)年頃までに、臨済宗南禅寺派の円通寺(小城町三間寺)の塔頭(たっちゅう)養源院で得度(髪を剃り仏門に入ること)し、修行の後、各地を回っています。やがて足利(あしかが)学校(栃木県)の庠主(しょうしゅ)(=校長)となり、徳川家康に仕えました。関ヶ原の戦いには軍事顧問として同行、西軍に付いた鍋島藩の危機を救っています。これを感謝した鍋島父子は、故郷に三岳寺(小城町門前)を寄進、元佶を開山としました。慶長17(1612)年、駿府(静岡県)の円光寺で死去。享年65歳でした。