文化 ながさきピース文化祭2025 壱岐の島History

■刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)
「刀伊の入寇」が起こったのは、寛仁3(1019)年3月28日と言われていますが、はっきりとは分かっていません。国境の島である対馬に続いて壱岐(勝本町立石南触)に50隻(約3,000人)もの賊船が来襲し、各地で放火や殺人を繰り返した末、博多への侵略を試みた事件の事です。
「刀伊」とは、高麗(当時の朝鮮)の人々が、賊を「東の夷狄(いてき)(野蛮人)」という意味で「東夷(とうい)」と呼んでいたのを、日本の文字にあてたものと言われています。「刀伊」と呼ばれた賊の正体は、中国東北部に住む女真族を中心とする海賊集団でした。賊船は壱岐の北西岸に押し寄せ、湯本湾~片苗湾一帯(勝本町立石南触 刈田院川付近)から上陸したと言われています。上陸した賊は、手当たり次第に人を捕らえると、老人や子供は惨殺し、壮年の男女は船に連れ込み、穀物を奪い、牛馬や犬を殺して食べ、民家を焼き払いました。壱岐守(いきのかみ)であった藤原 理忠(ふじわらの まさただ)も、国衙(こくが)(※1)の軍勢を率いて賊の討伐にあたりましたが、激戦の末、戦死してしまいます。壱岐では藤原 理忠(ふじわらの まさただ)を含む148人が殺され、239人が捕虜として連れ去られました。

(※1)地方の役所

問合せ:ながさきピース文化祭2025 壱岐市実行委員会事務局(文化スポーツ振興課 文化振興班)
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