- 発行日 :
- 自治体名 : 熊本県宇土市
- 広報紙名 : 広報うと 令和7年1月号
■鏡から見える古墳時代の宇土
弥生時代から古墳時代にかけての遺跡で発見される遺物の一つに銅鏡があります。その名のとおり、青銅(せいどう)(銅と錫(すず)の合金)で作られた鏡で、多くは特徴的な背文(はいもん)(鏡の裏面にある文様)を持ちます。その文様により内行花文鏡(ないこうかもんきょう)、方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)などに分類されます。
◇中国大陸からもたらされた銅鏡
当時の銅鏡は現在のような姿見としての用途よりも、呪具(じゅぐ)・祭具(さいぐ)としての意味合いが強いものでした。東アジア社会の中心国家だった中国王朝(漢(かん)や魏(ぎ)など)への貢(みつ)ぎ物の見返りとして授与された銅鏡は、中国との関係性やその後ろ盾を象徴するものとして、地域の首長が自身の地位や権力の証(あかし)として保有していました。銅鏡は数世代にわたって受け継がれた後、有力者の墓に遺体とともに納められたため、副葬品(ふくそうひん)として古墳などから発見されることが多いです。
また、同じ鋳型(いがた)で作られたとみられるそっくりな銅鏡が日本各地の古墳から発見されています。銅鏡の分布状況からは、日本列島における地域間の流通や、ヤマト王権を介した銅鏡の分配などが垣間見え、当時の社会構造を知る重要な手がかりとなります。
◇宇土で発見された銅鏡
宇土市内でも、複数の銅鏡が発見されています。県内最古の前方後円墳といわれる栗崎町の城ノ越(じょうのこし)古墳(三世紀後半)では、直径約22cmの三角縁神獣鏡が出土しています。その名のとおり、縁の断面が三角形に見える特徴的な銅鏡で、邪馬台国(やまたいこく)の女王卑弥呼(ひみこ)が中国の魏から贈られた「銅鏡百枚」もこの種類と考えられています。邪馬台国を中心とする政治連合であるヤマト王権との関係をうかがわせる貴重な発見といえます。
松山町の向野田(むこうのだ)古墳(四世紀後半)では、中国製とみられる三面の銅鏡が出土しています。これらは、埋葬された遺体の頭部を囲むように置かれ(写真)、その種類は、内行花文鏡、方格規矩鏡、鳥獣鏡(ちょうじゅうきょう)と呼ばれるものです。数種の銅鏡によって頭部を囲む配置状況から魔除けの意味があったと考えられます。
こうした銅鏡が宇土に残されていることは、中国から銅鏡を受け取った人物や集団とのつながりがある人物が宇土周辺にいたことを示唆しています。銅鏡の最初の持ち主や、宇土の古墳に納められた経緯は不明ですが、今回紹介したわずか四面の宇土の銅鏡の背景には、日本や中国をめぐるスケールの大きな歴史が隠れています。
※写真は本紙をご参照ください。
■お知らせ
現在、熊本県立装飾古墳館(山鹿市)で企画展「鏡のかがやき」が開催されています(2月9日まで)。宇土市城ノ越古墳の三角縁神獣鏡をはじめ熊本県内で発掘された銅鏡30面が一堂に公開されています。ぜひお出かけください。
問合せ:文化課 文化係
【電話】23-0156