くらし 【連載】阿蘇のチカラ、ここから
- 1/34
- 次の記事
- 発行日 :
- 自治体名 : 熊本県阿蘇市
- 広報紙名 : 広報あそ 2025年8月号
商店街で元気に挨拶する制服姿。
地域の清掃活動に汗を流す高校生たち お祭りの準備に駆け回る若い力。
阿蘇の街角には、いつも高校生たちの元気な姿があります。
彼らが学ぶ地元の高校は、この地域にとって特別な存在です。
教師、農業従事者、企業経営者…。
いま阿蘇で活躍する多くの人々が、ここで学び、力を蓄え、夢を育んできました。
まさに地域の原動力と言えるでしょう。
しかし、時代は変わりつつあります。
少子化の波は、この学び舎にも影響を与えています。
生徒数の減少は確かに課題です。
でも、だからこそ見えてきた新しい可能性があります。
学校は地域との絆をより深め、これまでにない魅力的な教育に挑戦しています。
変化をチャンスに変える、そんな取り組みが始まっているのです。
この特集では、阿蘇が育む『人の力』を詳しく見つめました。
先輩たちの多彩な活躍、在校生たちの熱い想い、そして未来に向けた新たな挑戦。
読み進めていただければ、きっと感じることでしょう。
阿蘇のチカラがどこから生まれ、どこへ向かうのかを。
■人生を耕やす学び舎の記憶
地元に高校があることの価値とはなんでしょうか?高校というのは、ただ勉強をする場所ではありません。ましてや受験や就職のためだけにあるのでもありません。
卒業生の話からその価値について考えます。
阿蘇で育ち、阿蘇で学び、そして今、阿蘇で農業を通じて地域を支えている一人の卒業生がいます。その歩みから見えてくるのは、「高校が地域にあること」の意味と価値です。その物語は、偶然のようでいて、地域の高校がなければ始まらなかった道でもあります。地元で学ぶということが、将来どのような形で地域とつながっていくのか。その可能性を静かに、しかし力強く教えてくれます。
○高校での原体験
阿蘇農業男児合同会社の代表を務める岩下幸史さんは、阿蘇清峰高校の生物科学科の卒業生です。野菜やメロンの施設園芸、豚の飼育、ベーコンやハムの加工実習などを通じて、農業の基礎から加工、そして消費者に届くまでの一連の流れを学びました。当時、将来農業に関わることになるとは思っていなかったそうです。
中でも、印象に残っている授業は、豚の飼育を通じて命の大切さを実感した体験。「かわいそう」という思いと同時に、「自分が生かされている」という実感が強く残ったといいます。暑いハウスでの管理、夏休み中の作業など、決して楽しいことばかりではなかった経験も、後に農業を始めるきっかけになりました。
○就農と成功
高校卒業後、一度は農業とは関係のない仕事に就きましたが、「このままでいいのか」という思いから、改めて地元を見つめ直したとき、一番身近にあったのが農業でした。土地も機械もないゼロからのスタート。周囲から「無理だ」と言われたこともありましたが、それがかえって奮起のきっかけになりました。
アポなしで地域のトマト生産者のもとを訪ね、技術を学び、自分のものとして吸収していきました。1年目から反収18トンという成果を上げ、以来13年間、高い水準を維持し続けています。言葉にしづらい「感覚」を大事にしながら、仲間と共に技術を高め合う関係も築いてきました。
現在は、仲間たちと農業法人「農業男児」を立ち上げ、新規就農者の育成や耕作放棄地の再生、加工品の開発・販売など多角的に活動しています。
○個人の利益だけでなく地域全体の利益
活動の中心にあるのは、「阿蘇の農業を盛り上げたい」という思いです。自分の経営がうまくいけばそれでいい、という考えではありません。産地としての阿蘇を次の世代につなぎたいという意識が根底にあります。
農業男児では2年間の研修制度を設け、新規就農を希望する若者を地域ぐるみで支えています。また、トマト甘酒のような新しい商品開発を通じて、「農業はきついだけではない」「儲かることがある」といった、新たな農業のイメージを発信しています。これらの取り組みは、地域の旅館や飲食業とも連携し、阿蘇全体の魅力向上につながっています。
○それは阿蘇が好きだから
なぜ、これほどまでに地域にこだわるのか。それは「阿蘇が好きだから」。そう語る彼の言葉には、ぶれない思いがにじみます。
高校時代に得た体験や出会いが、その後の人生に大きく影響したといいます。もし市外の高校に進学していたら、今とは違う道を歩んでいたかもしれない。阿蘇の高校に通ったことが、今の自分を形づくっている。そんな確信があります。
○地域に高校があることの価値とは
このまちに高校がある。それは、通える距離に進学先があるという、単なる「便利さ」だけを意味しているわけではありません。そこにあるのは、「地元で、自分の人生を模索できる場所」です。
たとえ進学や就職で一度はまちを離れても、「あのとき、地元でこんな経験をした」という記憶があれば、それは迷ったときの道しるべになります。外の世界で見た景色と、地元で過ごした時間が、自分のなかで響き合いながら、「戻ってきたい」と思える気持ちを育ててくれる。そして、実際に戻ってこられる場所があるということ自体が、人の心の支えになります。
人は、ふとしたときに、自分の選んだ道に意味を見出したくなるものです。
なぜこの仕事をしているのか。
なぜこのまちに暮らしているのか。
自分は、毎日をどんな気持ちで生きているのか。
その答えは、突然どこかで見つかるというよりも、日々の暮らしの中で、少しずつ、静かに、にじむように見えてくるものかもしれません。
高校は、その「問いの始まり」に出会う場所。何気ない毎日のなかで、自分の価値観の土台がつくられる場所。そして、人生のなかで一度きりの、かけがえのない時間を過ごす場所です。