文化 都城島津伝承館だより

■相久(すけひさ)の怨霊譚(おんりょうたん)と兼喜(けんき)神社
近世都城領内には、島津総鎮守・神柱宮など数百の神社があり、元禄11(1698)年頃に記録された「都城領内神社由調帳(よししらべちょう)写」には、霊社として兼喜大明神と志和池水流村の荒人(こうじん)三社大明神が記されています。
兼喜大明神は、第10代時久の長男・相久を祀るために創建。武勇に優れた相久は、肝付氏や大友氏との戦いで戦功を挙げましたが、家臣に陥れられて安永金石城(やすながかねいしじょう)(現在の庄内町)で自刃(じん)しました。本史料には、相久の霊を鎮めるために建立された若宮八幡宮が兼喜大明神となるまでの出来事が記されています。それによると、北郷氏は、文禄4(1595)年に祁答院(けどういん)(現在の鹿児島県薩摩川内市)に所替え。慶長5(1600)年に還住(げんじゅう)した後も相久の霊魂の恨みはやまず怪異が続いたことから、北郷家当主らは、神職・修験者を度々上京させ、室町時代末期に神道流派を興した吉田家から神号を授かり、霊八幡宮、兼喜明神、兼喜大明神と改号を重ねていきました。
※本史料は、10月11日(土)から11月24日(月)まで開催する特別展「怪異の受容と南九州」で展示予定

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