スポーツ 21年間の感動をありがとう(元東京ヤクルトスワローズ)青木宣親さん

◆青木宣親さんが21年間のプロ野球生活に幕
本市出身の青木宣親さんが、昨年10月2日の試合をもって、プロ野球選手を引退しました。
青木さんは18歳まで本市で過ごし、日向高校を卒業後に早稲田大学に進学。大学卒業後は、プロ野球東京ヤクルトスワローズにドラフト4巡目で指名を受け入団しました。これまで、日本プロ野球史上初となる2度のシーズン200本安打達成など、数々の偉業を成し遂げ、米大リーグや日の丸を背負ったWBCでも大活躍されました。
神宮球場で行われた引退試合は日米通算2483試合目。青木さんの背番号「23」のボードを掲げる多くのファンが見守る中、2安打の活躍で日米通算2730本安打に記録を伸ばし、有終の美を飾りました。
これまで、市民を始め、全国の人々に多くの夢と感動を与えてくれた青木さん。21年間のプロ野球生活、大変お疲れさまでした。これからも多方面での活躍を市民の皆さんとともに応援しています。

◇青木さんの経歴
昭和63年:日知屋小学校入学
平成6年:富島中学校入学
平成9年:日向高校入学
平成12年:早稲田大学入学
平成16年:東京ヤクルトスワローズ入団
平成23年~:米大リーグへ(7球団)
平成30年:東京ヤクルトスワローズ復帰

◇日向市関係受賞歴
平成20年:日向市市民栄誉賞
平成21年:日向市スポーツ特別表彰
平成30年:日向市市民栄誉特別賞
令和3年:日向市市民栄誉特別賞

◆ゆかりの人に聞きました
◇佐土原高校 校長・宮崎県高野連会長・高校時代の恩師
田平 裕三(たびら ゆうぞう)さん
足の速さはもちろん、打撃が柔らかく、広角に打てるなど抜群のバッティングセンスがあり、潜在能力は目を見張るものがありました。しかし、ここまで活躍するとは…。高校、大学、プロ野球とチームメイトなどに恵まれ、反骨精神で努力したからこそだと思います。これからも、未来ある野球少年のために頑張ってほしいです。

◇母 香澄さん・父 人志さん
木の棒を振り回して侍ごっこをしていたやんちゃ坊主が、侍ジャパンとして活躍するなんて。宣親は3人兄弟の末っ子で、2人の兄が所属する少年野球チームに入りました。チームは公園で練習をしていたので、宣親は公園に遊びに行くような感覚で野球を始めました。小学校2~3年の頃、宣親から左打者に転向したいと言ってきたんですが、小さいなりに少しでも塁に出るために考えたのでしょうね。

◇小中学校、高校時代にバッテリーを組んでいた
熨斗(のし) 一光さん
「全日知屋」という少年野球チームに、ノリ君は小学校1年から、私は3年から入団していました。ノリ君は自然と人が寄ってくるタイプで、下級生などが憧れる選手でした。引退と聞いて神宮球場まで行きましたが、人前では涙を見せなかったノリ君が大泣きしているのが意外でした。いろんなことがあったんだろうと感じました。

◇高校野球時代のチームメイトで3年間同じクラスだった
本多 悠馬(ほんだ ゆうま)さん
ノリは走攻守すべてがすごかったですが、1年の秋からエースピッチャーだったので、どちらかといえば当時は投げる方が注目されてました。努力家でしたが、要領のいいところもあって、勉強ではテスト前に集中して良い成績を取っていましたし、練習もメリハリを持ってやっていましたね。

◇日向高校2年野球部キャプテン
立山 皓貴(こうき)さん
あこがれの大先輩です!
多くの記録を持ち、日米での活躍やWBCでの貢献など、憧れの存在です。日向市出身で同じ高校・部活のOBに青木選手がいることはとても誇らしいですし、夢への励みになります。今の野球部があるのも青木選手の活躍があったからこそだと思っています。

◇日知屋小学校の後輩、日向ベアーズの
山本 岳玖(がく)さん
学校に青木選手の写真が飾ってあるので、皆、青木選手のことを知っています。僕も青木選手と同じ左打ちなので、腕が最短距離を通るスイングなど、青木選手をお手本にして練習に励んでいます。将来は青木選手のようなプロ野球選手になりたいです。

◇小中学校時代のチームメイト日向ベアーズ監督の
黒木 圭一(けいいち)さん
練習の前に一緒にファミコンをしたり漫画を読んだりしていたあのノリ君がこんなに活躍するとは思ってもみませんでした。今は少年野球の指導の中で、ノリ君を引き合いに出して選手の土気を高めています。ノリ君、子どもたちに夢を与えてくれてありがとう。

◆青木 宣親さんから市民の皆さんへメッセージ
長い間、声援をいただきありがとうございました。皆さんの声援は届いていましたし、それを励みに毎日プレーしていました。今後も皆さんや野球界の発展のために頑張っていきますので、よろしくお願いします。

問い合わせ:観光交流課スポーツ・サーフタウン係
【電話】66-1026