文化 (歴史探訪)日向市指定有形文化財 木喰行道(もくじきぎょうどう)作「十一面観音像」

木喰行道は江戸後期、甲斐の丸畑ヶ村(現在の山梨)に生まれました。22歳で出家したのち、45歳から日本全国を行脚(あんぎゃ)し、60歳頃から造像を始めました。北は北海道から南は宮崎まで、およそ720体の神仏像が確認されています。常陸国(現在の茨城)の観海上人(かんかいしょうにん)の弟子となり、肉や魚、穀類を避けて木の実を食べ、寝具に寝ないなどの生活を送る木喰戒(もくじきかい)を継ぎ、木喰行道と名乗りました。
木喰はたびたび日向市を訪れており、平岩に3躯の仏像と1幅の書が、富高に1躯の十一面観音像が伝わっています。
十一面観音は菩薩の一種で、ヒンドゥー教の影響を受けて成立しました。千手観音や馬頭観音などと並び六観音の一つに数えられます。苦しむ人をすぐに見つけるため、全方向に顔があるのが特徴で、多くは正面に如来、頭頂に仏面、右に忿怒面(ふんぬめん)、左に狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)、後頭部に大笑面(だいしょうめん)が、頭部を取り囲むように配置されます。本像は蓮華座の上に立ち、左手に宝瓶(ほうびょう)を持ち、右手は軽く胸の前にあてます。天衣は二股に分かれ台座まで垂れます。頭部の前面にのみ10の面が見られ、本面と合わせて11面を構成しますが、これらの面のほとんどは摩滅しており、表情を見ることは困難です。本像はその他にも足元から台座にかけて大きく摩滅が認められます。かつて子どもたちが川にこの像を浮かべて遊んだ際のものと言い伝えられています。
木喰仏は落書きされたり、ソリとして乗られたりと悪戯されたものもあるようですが、本像もそのうちの一つです。信仰対象としてだけでなく、身近な存在として富高の生活に溶け込んでいたと想像できます。

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