- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県指宿市
- 広報紙名 : 広報いぶすき 2025年8月号
■戦後80年 指宿に残る戦争遺跡
令和7年は太平洋戦争終結から80年を迎える節目の年です。戦争の記憶の伝承が難しくなる中、その実態や悲惨さを次の世代に伝えるため、全国的に戦争遺跡(軍事施設や被害を受けた建物・防空壕(ごう)など。戦跡(せんせき)とも言う)の調査が進められています。今回は市内に残る戦跡の一部を紹介します。
◇指宿海軍航空基地
田良浜には指宿海軍航空基地がありました。基地建設に伴い、田良の住民137戸は町内10カ所に別れて移転することとなりました。昭和20年になると沖縄戦に備えて特攻隊が編成されました。沖縄周辺海域に侵攻する米軍輸送船を中心に攻撃し、補給を断つことを目的に特攻訓練が開始されたのです。そして同年4〜6月にかけて、水上機に乗り計82人の特攻隊員が出撃しました。その後、指宿海軍航空基地は昭和20年5月の空襲によってほとんど焼失しましたが、現在でも倉庫群の基礎と考えられるコンクリート構造物が一部残っています。また、知林ヶ島と本土をつなぐ砂州では、今でも戦闘機の残骸が見つかることがあります。
◇海軍山川方探所(ほうたんじょ)
山川中学校の西側に位置する山川電波観測施設の敷地内には、田良浜の指宿海軍航空基地建設に伴い、昭和8年に設置された電波送信所が残っています。地下には「旧耐弾送信室」がありました。機材・設備は終戦直後に旧海軍によって全て撤去されましたが、防空壕や貯水池は今でも残っています。
◇震洋隊(しんようたい)関連施設
太平洋戦争末期、本土決戦に備え田良と長崎鼻には「震洋隊」が置かれました。震洋はベニヤ板製のモーターボートで、爆薬を積んで敵に突撃する特攻兵器です。魚見漁港近くの海岸には、震洋を海に運び出す施設と考えられるコンクリート製のスロープが残っています。
◇隼人松原の松脂(まつやに)採集痕
今和泉小学校東側の海岸に面している「隼人松原」の松の木には、日本全土において総動員で行われた松脂採集の痕跡が残されています。戦局の悪化に伴う石油輸入の大幅減少の影響を受けて、松脂が航空機の代替燃料の原料として利用されたのです。隼人松原のものは、松の表皮が高さ・幅20cm程度のハート形にはぎ取られていますが、これは全国各地の松脂採集の痕跡と非常に似ています。当時、統一規格に沿った松脂採集が行われていたことを示す資料です。
問合せ:生涯学習課文化財係