- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県いちき串木野市
- 広報紙名 : 広報いちき串木野 令和7年3月21日号(第233号)
■長沢鼎 Vol.11「長沢の死 そしてその後」
禁酒法が廃止された翌年の1934年3月1日、長沢鼎はカリフォルニアの地で82歳の生涯を閉じます。これを機に、長沢の仕事や身の回りの世話をしていた甥夫婦など、残された親族らの生活は一変します。長沢の死は、地元紙にも大きく報じられ、多くの名士たちが参列しますが、残念ながら遺族に与えられた役割は無かったといいます。長沢は生前、排日土地法により日本人には遺産の相続ができないことから、米国民である甥の息子の幸介を相続人とすることとし、信頼する顧問弁護士ウェアに相続の処理を依頼していました。
しかし、ウェアへの報酬は長沢の遺書により破格の25,000ドルであり、さらにウェアは、負債整理や弁護士、葬儀の費用に莫大な経費がかかったと主張し、追加徴収を行ったのです。その結果、幸介らに相続された遺産はほんのわずかで、遺族は追われるようにサンタローザを去ることになります。その後、長沢が所有していた広大な土地は転売され、時代とともに姿を変え、現在はパラダイス・リッジという長沢ゆかりのワイナリーやナガサワコミュニティパークといった長沢の名がついた市立公園が設置され、長沢の存在や功績が後世に語り継がれています。
参考文献:渡辺正清著
『評伝 長沢鼎 カリフォルニア・ワインに生きた薩摩の士』
薩摩藩英国留学生記念館スタッフ 峯元雅代
■開館10周年記念特別企画展
「long long journey 旅はまだ、続いている。長沢鼎展」開催中
薩摩藩英国留学生記念館
【電話】35-1865