- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道鹿部町
- 広報紙名 : 広報しかべ 2025年1月号
「鹿部温泉観光協会担当」
橋井勲 隊員
新年明けましておめでとうございます。昨年は鹿部駅を有効活用する実証実験プロジェクト「シカベステーション」開設におきまして、鹿部町民の方々には大変お世話になり本当にありがとうございました。今年も鹿部駅を鹿部町の玄関口としてふさわしい空間にするため、様々なプロジェクトを模索しております。本年もどうぞよろしくお願い致します。
■人生のラストミッション
もうすぐ、2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻を始めてから3年になります。その日を境に世界は「民主主義国家」と「独裁主義国家」に二分され、エネルギーと食糧の安全保障は完全に揺らぎ、その殆どを海外に依存する日本において、「電気が消える日」「スーパーから商品が消える日」が現実に起こりうる厳しい現状を危惧しております。
例えるなら、自らがもたらした「気候変動」という嵐で沈みかけている地球号という船の中で、船員たち同士が醜い争いを繰り広げているという悲惨な状況です。
還暦を迎えた後、私は国内・海外問わず旅を続けておりましたがコロナ禍に入り「終の棲家探し」に瀬戸内海の島々を巡っている途中、そのニュースに強い衝撃を受けました。
「もし人生が90年だとしたら、最初の30年は自分のために、次の30年は家族のために、そして最後の30年は社会のために」とよく申しますが、完全に最初の30年のようになっていた自分に気付くきっかけとなりました。
その日から、子供たちや次世代が夢や希望を持ち続けられる社会へ繋げるために、快適性や利便性を追求し続け自然を破壊した現代文明を享受してきた一人の人間の責務として、「終の棲家探し」ではなく、残りの人生を懸けて、30年に及ぶ白馬での田舎暮らし体験や長年培った料理・農業・子育てなどの知識や経験から学んだ「地域的な自給自足的地産地消」を推進して「地域モデル」の構築が可能な島を求めて旅を続けました。
それから様々な経緯を経て、昨春北海道へ辿り着きました。鹿部町では、温泉という資源を発電・陸上養殖・野菜栽培・暖房・ロードヒーティングなど最大限に有効活用して「エネルギーと食糧の地産地消」をテーマに「鹿部モデル」を構築して日本全国の地域への普及を図り、本当のサステナブルツーリズムにも繋げていきたいと考えております。
■縄文人からのメッセージ
昨年3月に北海道へ移住してから、プライベートの楽しみの一つにしていたのが「北海道・北東北の縄文遺跡群」を巡る旅でした。
35年前に白馬へ移住してから米作りを始め、その稲の持つ生命力の素晴らしさや連作障害が起きない水田というシステムにすっかり魅了され、米作りが始まった弥生時代や、縄文時代を含めた考古学に興味を持つようになっていきました。
残念なことに、弥生時代から始まった米作りが自然破壊や争いの始まりになっていたことを知りました。それに比べて、縄文時代は自然の恵みの恩恵を巧みに利用して、持続可能な社会を構築していたのかもしれません。
昨年5月に初めて、土地の所有権もない時代に縄文人が6000年定住した「垣ノ島遺跡」を訪れました。ガイドの方やいろんな方に、6000年の定住が続いた理由をお尋ねしたところ、津波の被害に遭わない20~30mある海岸段丘や、縄文遺跡にみられる鮭が遡上する川横の立地などの地形的条件や、里山に栗・胡桃・山菜などが豊富にある食料的な条件などは共通した認識になっていましたが、それ以上の認識については人によって様々ある中、ある方が「そこには究極の民衆主義が存在していたのではないか」と仮説を唱えられていました。私もこの仮説に賛同しています。いやそうであって欲しいという願望を込めて。
また、この時代に新潟や秋田で産出された天然アスファルトが運ばれていたことにも驚きました。現代なら道路の舗装にしか利用されませんが、当時は漁具や土器の接着剤として使用されていたそうです。
現代人が縄文人から学ぶことが多い。先行き不透明な現代社会において、今一度、人類の原点に立ち返って、子供たちや次世代へ持続可能な社会を繋げる術を模索することが幸せな時代を生きることが出来た我々に課せられた最低限の責務であると考えております。
私は休みの日に時間がある時は「垣ノ島遺跡」へ向かい縄文人の声に耳を傾けています。
SDGsuns 主宰 橋井勲