- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道泊村
- 広報紙名 : 広報とまり 令和7年10月号
■女中さんの部屋
鰊御殿とまり館長 増川 佳子
汗ばむ日が続き、なかなか半袖を手放せずにいましたが、お彼岸を過ぎてやっと暑さも落ち着きました。今春から例年を上回っていた来客数は、夏になっても衰えることなく8月末には2000人を突破しました。大雨や地震などの災害が多かった日本列島の各地から小さな村の施設まで足を伸ばしてくださるなんて、なんとありがたいことでしょう。
『鰊御殿とまり』の川村家鰊番屋は明治末期から大正・昭和初期にかけての鰊漁場の生活を想像できる施設です。特に畳敷きの“親方家族の住まい”は各部屋に適した家財道具を配置して、それぞれの部屋にいた人たちの物語を創造することができます。道内津々浦々にある鰊番屋との違いがそこにあり、「来てよかった」と思える要因の一つだと思います。
その鰊番屋1階の一番奥にある北向きの小さな部屋を“女中部屋”として展示しています。当時川村慶次郎宅に女中さんが雇われていたかどうかは不明ですが、女中部屋の前にたたずむと親方家族の生活を支えていた女中さんの質素で静かな生活を思い描くことができます。
『…外が明るくなり始めた早朝、布団をきれいにたたみ、壁際に積み重ね、簡単に掃除をする。顔を洗い(冬には湯たんぽに入った人肌に冷めたお湯が使えてありがたい)、タンスの上の鏡で身だしなみを確認して、いよいよ朝食の準備や掃除を始める。一日の最後の仕事である夕餉の後始末を終えると、ほっと一息。これから隣の茶の間のにぎやかな話し声や虫の音、風の音を聞きながら針仕事。繕い物したり、いただいた布で新しい着物を縫ったり。たまに文机の薄暗い灯りの下で、離れて暮らす家族から届いた手紙の返事などをしたためる。…』(勝手な想像ですが…)
この部屋の中央には針仕事の道具が置かれています。一番目を引く“くけ台”。手縫いの和裁には欠かせません。アイロンの前身の“こて”。布に印をつけるチャコペンの代わりの“へら”。缶箱いっぱいのボタン。色鮮やかな端切れたち。明治生まれの祖母の周りにあった懐かしい空間です。
さて、前館長の“ごてん”の記事に角巻が紹介されていたのをご存じの方はいらっしゃるでしょうか。番屋の床の間の丸机にかけられた真っ赤な角巻の写真に目を奪われ、一目実物を見たいと、番屋内の戸棚やタンスの扉を片っ端から開けて捜索しました。茶の間のタンスの一番下の引き出しの中で発見した角巻は、若干色褪せてはいましたが深紅で美しく、思いのほか厚くて重いものでした。せっかくなので、10月から閉館までの間、展示してみることにしました。秋の装いになった『鰊御殿とまり』にも足をお運びください。(夕暮れ時には、客殿廊下の埋木細工のライトアップも幻想的ですよ。)
