文化 中山町歴史散策第214話 美術と工芸郷土の画人その1

郷土の画人の先駆者といえば、狩野休清実信でありましょう。実信は長崎の現在の西小路地区の髙橋甚之丞家の次男として生まれ、本名を甚兵衛といいます。生没年は明らかではありませんが、若くして江戸に出て修行の末、幕府御用絵師狩野支家である御徒町狩野家三代休山是信に見込まれて養子となります。天保より、安政年間にかけて江戸城の絵所に出仕し活躍しました。天保9年(1838年)、江戸城西の丸御殿が焼失、翌年の西の丸の大工事の際に、若年寄詰所の障壁画を揮毫(きごう)したことで知られています。
実信の弟は初代黒木華郷(峰斎)で、生年は明らかではありませんが、山形で画業に励み、山形市八日町の黒木家に養子に入りました。本名を摠助といい、本業は表具師でありましたが、狩野派に大和絵を加味した彩色絵馬・幟(のぼり)等のすぐれた作品を残しています。絵馬では、当町の八坂神社に「八岐大蛇退治之図」、山形市高原町龍泰寺に「植木踊図」があります。惜しいことに、慶応4年(1868年)に、上山で急逝しています。
また、町内に限らず、幕末の山形地方の画壇に大きな功績を残した画人として西塔太原を挙げることができます。寛政9年(1797年)に柳沢の豪農西塔家に生まれ、はじめ名を岩吉、のち9代目西塔長右衛門を襲名しました。若いころは、漆山村(現山形市漆山)で設楽東玉斎について土佐派の画法を学び、玉崗と号しました。

■語句の説明
支家:分家、末家、傍流、傍系
出仕:勤めに出ること。特に役所などに勤めること。仕官すること。
若年寄:江戸幕府の職名。老中に次ぐ重職で、旗本および老中支配以外の諸役人を統括した
揮毫:筆をふるうこと。書画を描くこと。
号する:名づける、称すること。本名のほかに別名をつけること。

※引用…中山町史中巻第10章第3節文芸と美術工芸