- 発行日 :
- 自治体名 : 山形県中山町
- 広報紙名 : 広報なかやま 令和7年8月15日号
先月号においてご紹介した画人の作品のほか、町内に残る著名作家の作品としては、次のとおりです。
■池大雅筆「芭蕉翁図」月巣賛(げっそうさん)(山形県有形文化財)
江戸中期の南画の大家である池大雅(1723~1776)によるもので、芭蕉翁の坐像を描き、その上部に寒河江出身の俳人である山村月巣の賛のある紙本半折で、月巣の懇請による作品です。大雅は京都の生まれで、書画ともに江戸期を代表する一人です。月巣は江戸に上り、東都俳壇に名を成し、知人の紹介で京都に大雅を訪れ交友を結ぶようになったといいます。
■谷文晁筆「写本楼画本」「画学斎画本」2巻
江戸後期の南画の大家である谷文晁によるもので、四季様々の花のほかに葡萄や柿などの描法は自然をとらえて描くことを、愛弟子西塔太原のために書き与えたものです。愛弟子への愛情もくみ取れる作品で、四季花果之図となっています。
■安藤広重筆「丹後天橋立」「同所成相山眺望」(二幅対)
土橋村は享和元年(1801年)、寺津村などとともに天童織田藩の飛地となりましたが、天保以来の飢饉や大凶作で藩の財政は極度に窮迫しました。たまたま江戸詰の家臣吉田専左エ門が浮世絵画家として有名な安藤広重と狂歌の上で親しかったのを利用し、藩では広重に肉筆画の執筆を依頼、領内の富裕の町家、豪農の献金の額によって二幅対、三幅対に分けて与えました。佐東家は土橋村を代表する旧家で代々彦右エ門を名乗り、宝暦期から明治初年に至るまで一貫して名主を務め村のために尽力しました。天保13年(1842年)から年賦で献金すること20年、その額120両の大金に達しました。織田藩ではもとより返済の見込みはなく、この掛け軸二幅の「排領物」で棒引きに相済みとなったわけです。佐東家としては誠に迷惑極まる話であったと思われますが、今では広重の肉筆画は「天童広重」として珍重されています。
■浦上玉堂筆「閣日微陰之図」(中山町有形文化財)
江戸後期の文人画家浦上玉堂(1745~1820)の作。玉堂は岡山に生まれ備前鴨方藩に仕えた武士でありましたが、妻の死後、文人生活に入り、独学で南画を修行し全国各地を旅しました。一時会津に滞在したこともあります。水墨の用筆法に独特の画風を発揮し、詩情豊かな山水画を残しています。
※引用
中山町史中巻第10章第3節文芸と美術工芸