- 発行日 :
- 自治体名 : 山形県朝日町
- 広報紙名 : 広報あさひまち 令和7年6月号
長い歴史をもつ浮島は身近なものとして、区民をはじめとする人々の手で守られてきました。
ここでは、浮島と関わりをもつ皆さんに思い出をお聞きしました。
【浮島×地域】
地区の宝と私たち
◆区内外の人々が集まる場所
現在は、神社から沼に降りる途中に「浮島休み処」がありますが、以前は遥拝所の近くに「湖畔の家」が建っていました。湖畔の家は、県外から大沼区に移住された故・北村輝雄さんが管理人をされていて、ケーキやそばなどを振る舞い、ほかの区民たちもおもてなしのために行動していましたね。
さまざまな立場で多くの人々が浮島を「もう一度訪れたい場所」として守り、町内外から訪れる方々を迎え入れていました。
私たち区民にとって浮島は昔から身近な存在です。私が子どもの頃には年間を通して敷地内で遊んでいましたし、大人たちもまつりのなおらいなどを行っていました。神様を祀る神聖な場でありながらも、区民がにぎやかに集う場でもあったのです。
◆今やれることをやる
どの地区でもそうですが、人口減少とともに少子高齢化は進み続けています。浮島を未来に残していきたいと思う一方、その維持管理は年々区民にとっても大変なものとなっているのが現状です。
伝統をなくすことは簡単ですが、それだと寂しい。やれることには限りがありますが、浮島が新たな節目を迎えられるよう、まずはやれることを区民をはじめとする皆さんと協力して取り組んでいきたいです。
このたびの国名勝指定100年という節目が、より多くの方に浮島とその取り組みを知ってもらうきっかけにつながったらうれしいですね。
「やれることをやって、未来に浮島を残していきたいです。」
大沼区長 白田修一さん
○湖畔の家
昭和51年11月、沼の近くに建てられたいこいの場。
食堂や大浴場、物産展示室などが備えられていた。
当時、2階の研修室で町民と職員が町の計画などを協議したことも。
◆みんなが過ごす場所
小林晴雄さん(大沼)
子どもの頃から浮島は身近な存在で、私も夏休みに入ると周辺で遊んだり木陰で宿題をしたりしていましたね。大人には内緒で島に乗って遊んでいた子たちもいました。また、その頃地区のおばあちゃんに「水面に落ち葉がないのは早起きする女神様が毎朝掃き掃除をしてくれるから」などの言い伝えを聞いたこともあります。
島まつりがなかった当時は、ほかのお祭りが開催されており、終了後なおらいをしましたし、息子が小学生の頃、大沼分校建替中は湖畔の家が校舎でした。ちなみに、湖畔の家が建てられる前には茶屋があり、解体のときに出た廃材は農業の作業小屋の一部として現在も残っています。
今も昔も、浮島はみんなが共に過ごす場所ですね。
◆何度も足を運んだ地
堀敬太郎さん(大谷第一)
浮島の散策ルートが整備されてからは訪れた人たちを案内しており、地元の子どもたちが学校の授業で浮島を学ぶときも案内させてもらいました。訪れた人の中には、大江町の左沢から歩いてきたという方もいて驚いたものです。
案内のほかにも、趣味の写真撮影のために浮島にはよく足を運んでいました。鳥居が建てられている島をどうしても写真に収めたくて、水面のギリギリまで近づいたこともありました(本紙4ページに掲載)。
散策中、この辺りでは珍しい白蛇を何度か見ましたが、噂で聞いた「畳一畳分の大きさの鯉」は一度も見かけたことがありません。まだ沼に住み続けているかもしれませんね。
◆雅楽の魅力
浮嶋雅楽保存会※
小林若菜さん(大沼)
松田篤子さん(大町)
○小林さん
浮嶋雅楽保存会に加入したのは母から声をかけられたことがきっかけでした。楽器は驚くほど難しく、初めはなかなか音が出ず落ち込むこともありました。しかし、その分音が出て、音色が響き合ったときは楽しく感じています。
○松田さん
調理師として大沼分校に務めていたことから、保存会結成後間もなく加入しました。山形市の神社に通って雅楽を習い、帰りにみんなでラーメンを食べたことが特に思い出深いです。演奏の難しさは今も感じていますが、昔よりも上手になっていると思います。興味がある方にはぜひ参加していただきたいですね。
※浮嶋雅楽保存会
平成11年に開催されたエコミュージアムの催し「よみがえれ大沼浮島の響き」がきっかけで大沼区にも雅楽があったことが判明し、翌12年に発足した団体。
現在は主に「浮嶋稲荷神社例大祭」「大沼浮島島まつり」で演奏しており、一部の楽器は昔使用されていたものが使われています。