- 発行日 :
- 自治体名 : 山形県朝日町
- 広報紙名 : 広報あさひまち 令和7年6月号
―町全体が博物館 朝日町エコミュージアム―
■第26回 浮嶋稲荷(うきしまいなり)神社(大沼)
所在地:大沼集落の東部、大沼の浮島駐車場から沼に向かう途中の杉林の中にある
白鳳(はくおう)9年(680)山岳修験者(しゅげんしゃ)、役證覚(えんのしょうがく)が天智帝(てんちてい)の命を受け、大朝日岳修験に向かう際に浮島の神池(大沼)を発見し、弟子の覚道(かくどう)をこの地にとどめ置きました。その覚道が沼の畔(ほとり)に浮島宮を建立(こんりゅう)したのが始まりで、天平(てんぴょう)2年(730)に現在の場所に移転したとされています。
建久(けんきゅう)4年(1193)鎌倉幕府の大江広元(おおえひろもと)が源頼朝(みなもとのよりとも)に祈願所(きがんしょ)として推挙(すいきょ)して以来、寒河江大江氏の祈祷所(きとうしょ)にもなっており、大江氏の後は山形最上氏の守護(しゅご)を受け、慶安(けいあん)2年(1649)には江戸徳川幕府の三代将軍家光(いえみつ)より祈願所として127石余の朱印地(しゅいんち)をいただき、別当(べっとう)の大行院(だいぎょういん)を中心に寺家(じけ)三十三坊がありました。明治12年(1879)には県社となり、湯殿山参詣(ゆどのさんさんけい)の途中や浮嶋稲荷ということで、太平洋岸の漁船に乗る人たちも多く参詣に来ていた時期もありました。
◇ウサヒのゆるっと解説
本殿と拝殿(はいでん)は江戸時代中~後期に建てられたもので、本殿の蟇股(かえるまた)にはホラ貝や笈(おい)など修験道に関わる彫(ほ)り物が見られるんだよ。また、境内(けいだい)にある山形最上氏の寄進(きしん)による石灯篭(いしどうろう)や拝殿の中にある俳額(はいがく)と共に町の文化財になっているんだよ。