文化 写真が語る「いわき」の歴史

■「八景」って何?
「八景(はっけい)」とは、ある地域において8か所の優れた風景を4文字程度の漢字で言い表したものです。10世紀の中国において編み出された「瀟湘(しょうしょう)八景」に始まるとされ、風景8か所を地域の中から選ぶものです。
たとえば、地域名と「晴嵐(せいらん)」「晩鐘(ばんしょう)」「夜雨(やう)」「帰帆(きはん)」「秋月(あきづき)」「落雁(らくがん)」「暮雪(ぼせつ)」などの気象事象・風景などの組み合わせです。市内には、江戸時代の八景として「平曲松(たいらまがりまつ)」「小名浜」「大高(おおだか)窪田)」などが確認されています。
これら、いわき地方の景勝地を八景に選んだのは磐城平藩主だった内藤義概(よしむね)の子・内藤(ないよう)義英(よしひで)でした。若くして露沾(ろせん)の雅号(がごう)を用い、江戸で俳諧(はいかい)活動の輪を広げ、松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)との交友をも深めていました。元禄(げんろく)8(1695)年に高月台(たかつきだい)の屋敷に移り住み、79歳で没するまでの38年間ここで暮らしました。
露沾は領内の山や川、海浜などを巡ったことが俳諧の内容からもうかがえ、この過程で景勝の地を八景として選出したものでした。
小名浜八景の碑は、浄光院(じょうこういん)の境内に平成9(1997)年6月に設置されました。当時、いわき市は内藤家を縁に宮崎県延岡市(のべおかし)と兄弟都市を締結することにしており、建立の機運が高まっていました。
「大高八景」は「勿来八景句碑建立実行委員会」によって、現代版の「勿来八景(なこそはっけい)」として、同じ内容で平成21年に勿来地区内8か所に句碑が建立されました。
このように「八景」は地域に愛着を持てるよう、まちづくりの一環として活用されたもので、現在の「景観」の考え方と通じるところがあるといえます。
(いわき地域学會 小宅幸一)