- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県二本松市
- 広報紙名 : 広報にほんまつ 令和7年4月号
■香野姫(かやひめ)明神(1)
長徳(ちょうとく)元年(995年)左近衛中将(さこんえのちゅうじょう)にまで昇った歌人の藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)は、殿上(でんじょう)で大納言(だいなごん)藤原行成(ふじわらのゆきなり)と口論の末、笏(しゃく)で行成の冠を打ち落としてしまい、一条天皇の勘気(かんき)に触れてしまいました。天皇から、「陸奥(むつ)の国の歌枕(うたまくら)(歌を詠む時の言葉や詠まれた名所など)を見て参れ。」と命ぜられ、陸奥守(むつのかみ)に任ぜられて下向(げこう)してきました。
陸奥の国に来て四年の間、各地に歌枕を尋ね歩いたが、阿古屋(あこや)の松に限って所在が分からずにいたところ、阿武隈の東に六本松という名木があることを聞き、その地に行ってみたがなかったのです。
疲れ果てた実方がこの時、
「陸奥(みちのく)の 阿古屋の松をたずねかね 身は朽ち人となるぞ ものうき」と詠みました。
小手森(おてのもり)の樵明神(きこりみょうじん)は、実方の心をお憐れみになり、樵の老夫に身を変えて、疲れて倒れている実方の袖を引いて目を覚まさせ、次のように教えました。
「『陸奥の 阿古屋の松の木の高さに 出づべき月の 出るもやらねば』の古歌の心で陸奥を訪ねるこの歌は、古い陸奥・出羽(でわ)が一つの国で陸奥と言っていた時に詠まれた歌なのです。その後、陸奥を割って出羽国(でわのくに)が置かれたのですが、阿古屋の松は出羽国にあるので、その地を探すのがよいでしょう。」
実方は、出羽国に赴き、阿古屋の松を訪ねることが出来たのです。
しかし、その帰途を急ぐあまり、岩沼(宮城県)辺りで落馬し、帰らぬ人となってしまいました。
一方、都にある実方の留守宅では、歌枕をたずねて陸奥の国に行った主人の実方の安否を心配していました。幾年過ぎても帰って来ないばかりでなく、何の便りすらもないのです。実方の奥方である香野姫は、次第に生気もなくなり身は細るばかりでした。或る日、ついに香野姫は、夫実方の身を案じて日毎に募る思いを抑えきれずに、その後を追って旅に出ようと心に決めたのでした。成せばなる、女の身とて決して出来ない事はないと、旅姿に身をつくり、馴れぬ旅路を艱難辛苦(かんなんしんく)して幾山河(いくさんが)を越え、越え去り来て幾十日の旅を続け、やっとの思いで遠く陸奥の国までたどり着きました。
(5月号へ続く)