くらし 劇場アニメ「ルックバック」第48回日本アカデミー賞「最優秀アニメーション作品賞」受賞
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- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県本宮市
- 広報紙名 : 広報もとみや 令和7年6月号
【監督作 劇場アニメ「ルックバック」第48回日本アカデミー賞「最優秀アニメーション作品賞」受賞】
本宮市出身 アニメーション監督・アニメーター
押山(おしやま)清高(きよたか)さん
ふるさと本宮への想いを込めて「広報もとみや」の表紙を描き下ろしていただきました!
○主な参加作品
・『電脳コイル』
・『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
・『借りぐらしのアリエッティ』
・『鋼の錬金術師嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』
・『風立ちぬ』
・『フリップフラッパーズ』
・『DEVILMAN crybaby』
・『SHISHIGARI』
・『ドラえもん のび太の新恐竜』
・『チェンソーマン』
・『君たちはどう生きるか』 など
○1982年、福島県本宮市生まれ。
○2004年より株式会社ジーベックでアニメーターとしての活動を開始し、2006年には『電脳コイル』で作画監督を務める。
その後、さまざまな作品やアニメ制作スタジオで、監督・脚本・デザイナーなど幅広い役割を担う。
○2016年、『フリップフラッパーズ』でテレビシリーズ初監督を務める。
○2017年、アニメーション制作会社スタジオドリアンを設立し、短編『SHISHIGARI』を制作。
○2024年、監督・脚本・キャラクターデザイン・作画監督・原画を務めた劇場アニメ『ルックバック』を発表。同作は第48回日本アカデミー賞、第49回報知映画賞、第16回TAMA映画賞をはじめ、多くの賞を受賞した。
また、映画『ルックバック』での成果が認められ、令和6年度芸術選奨文部科学大臣新人賞(メディア芸術部門)を受賞した。
■アニメ業界で躍進する押山清高監督をインタビュー!
▼本宮での幼少期時代はどのような少年でしたか
至って普通の子でしたが絵を描くのは好きでした。近所のおばあちゃんが画用紙やクレヨンを好き放題使わせてくれて、何を描いても褒めてくれたのでずっと絵が好きでいられたと思います。小学校の校長先生も多分元々美術の先生で、絵を描く子に優しかったのもありました。
あとは生き物が好きで虫取りとかザリガニ捕りをよくやりましたね。
▼アニメーターを目指したきっかけはなんですか
小学校も中学校も高校もずっと絵を描く環境に身を置いてきたので、きっと絵に関する仕事をしていくんだろうなというのはぼんやりとありました。
実際に仕事を何か決めなきゃとなったタイミングで、まずはキャラクターが描ける仕事がしたいなと思って。でも選り好みする人間でもあるので、自分好みのキャラクターの絵が描ける仕事を探しました。そんな中で、アニメーターがなりやすかったということもあって、アニメーターを選びました。
▼アニメーターや監督業の仕事の魅力を教えてください
正直、作品を作っている最中はすごくしんどいです。監督もアニメーターも無限にこだわれてしまうので、こだわるほど無限に作業量が増えて休みがなくなります。今これだけアニメ作品が多いと、それなりの質で作業ができる人も分散してしまい、少人数でかつ短期間で仕事をしなければならなく、物理的に人間の作業量だけで追いついていない状況です。
やってて楽しいなと思える瞬間は本当に一瞬ですが、完成した後に作品が評価されて、多くの方に届くというのはやりがいだなと思います。自分の仕事が多くの人のところまで届けられるところは魅力だと感じています。
▼日本アカデミー賞などの多くの賞を受賞されていますが、中でも特別だった賞はありますか
さまざまな映画賞がある中で日本アカデミー賞は周囲の反応が大きかったので、そういう意味では特別な賞だったんだなと感じました。
芸術選奨の文部科学大臣新人賞は、いわゆる普通の映画賞ではなく、国が芸術として認めた伝統芸能や芸術の方たちと横並びで受賞する感じだったので新鮮で不思議な空間でした。今はだいぶ改善されてきましたが、アニメ業界はブラックな側面もあって、皆さん大変な環境で仕事をされてきた中、最近アニメがこうして一般的に評価されてきて、国として認めてくれたというのは感慨深いものがありました。
▼ふるさと本宮への想いを教えてください
どこまでいっても故郷という特別な関係であるのは一生変わらないものだと思っています。
東日本大震災の時、私は東京に住んでいたので直接的な大きな被害は免れましたが、福島県の人たちは大きな被害を受けました。福島県や本宮に対して自分が何か大きな貢献ができると思っている訳ではなく、ただ何もできなかったなと、自分の中でモヤモヤした何か消化したい気持ちはずっとありました。
監督を務めた「フリップフラッパーズ」でみずいろ公園とか本宮市内の風景を出させていただいたのはそういった想いもあって、当時は聖地巡礼が流行っていた時期でもあったので、少しでも人の流れみたいなものを生み出して活気づくといいなという気持ちがありました。
▼本宮市の学生や若者へメッセージをお願いします
自分の好きなことを見つけてほしいなと思います。「日本で自分しかこれをやってない」っていうことを見つけることはすごく価値があって、それは都会に住んでいようが地方に住んでいようが関係ないし、周りの人が何と言おうと一つのことに専念できる何かを見つけられたらすごくラッキーだと思います。
仕事を決める必要があった当時、アニメーターという仕事は全然世間に知られておらず、親には美術系の教員を勧められていましたが、勧められたルートではなく、自分のやりたいことを選択できて本当に良かったと思います。
あと「継続」がすごく大切だと思います。私は別に特別な才能に恵まれていた訳ではなく、少しだけ能力に長けたところを継続してきたからこそ、他の人との差がより開いたのだと思います。小さい頃から絵を描くと周りから褒められる環境にいたので、調子に乗って得意になれました。自分がムリせず楽しくなれる事だからこそ続けられたというのはありますね。