くらし 東日本大震災から14年を迎えて “いのちを守り、人を活かし未来をつくる町づくり”へ(1)

広野町長 遠藤智
東日本大震災並びに原子力災害から14年を迎えました。この大震災より、今日に至るまで尊い命を亡くされました、直接死と震災関連死を併せて49名の方々のご冥福をお祈し、被災された全ての皆様に心よりお見舞い申し上げます。
はじめに、これまで町民の皆様の懸命なご努力と国内外からの温かいご支援により、全町避難を余儀なくされてから、町民一人ひとりが納得して帰還する“Early Return to Happy Return”「幸せな帰町」、尊厳ある帰還・移住を捉え、除染による環境回復、放射線による健康不安の払拭、災害に強いまちづくりを念頭としたインフラの復旧・整備、商業施設や医療福祉施設の整備、広野こども園、ふたば未来学園中高一貫校を始めとする教育環境の体制整備等、生活環境を一つひとつ確立しました。9割の帰還を成し得て、廃炉・復興関係事業者や県内外の他市町村からの移住者を受け入れ、約6,000人の新たな時代の防災に強い「安全・安心な共生のまちづくり」に取り組み、令和5年9月30日に制定した「広野町〝復興創生の日〟」を念頭に、復旧から再生、第二期復興創生期間を刻み、福島復興・創生へと希望に満ちた未来社会に邁進してまいりました。
復興計画の拠点として定めた広野駅東側エリアは、バス・タクシー乗降所や駐車場を備えた駅東口広場が整備されたほか、産業団地整備により広野みらいオフィスビル、ビジネスホテル、広野町商工会、医療機関やIT関連企業等が建設され、令和7年度は新たに航空宇宙関連の企業等が進出する予定となっています。さらに、第2期開発として「広野駅東ニュータウン」47戸の住宅団地を整備し、町が進める移住定住の受け皿として取り組んでいます。取り組みの1つとして、令和6年1月のパナソニックホームズ株式会社との連携協力協定のもと、令和6年6月に「広野町地方創生町づくり推進協議会設立準備会」を立ち上げ、現在は18社の企業の皆様に参画をいただいております。住宅地の魅力向上と付加価値創出を図るため、町民参加による交流人口・関係人口の増加、移住定住の促進により、住んで良かったと実感できる町づくりの実現を目指してまいります。町の玄関口というべきJR広野駅においては、常磐線を東西に渡る自由通路「未来の架け橋」、駅構内の跨線橋にエレベーターを設置し、バリアフリー化に取り組むことで駅利用者の利便性を向上させました。令和6年11月にはJRが整備した「新たなコンパクト駅舎」が完成し供用が開始されました。今後は、旧駅舎を改修し、防災機能を備えた「コミュニティ施設」が一体化した『新たな広野駅交流施設』を整備いたします。広野駅西側の利便性向上に向け、歩車道を分離し利用者の安全を考慮した駅前ロータリーを整備することで、町の魅力向上を図り、新しいランドマークとして整備してまいります。
福祉のまちづくりに向けて、平成31年1月の「福祉のまちづくり」宣言を踏まえ、地域が抱えている医療・介護・福祉の様々な課題に対し、迅速かつ適切に対応するため、包括的な地域連携を図る「広野町地域包括ケアシステム」の確立、町内の訪問介護事業所及び地域包括支援センターの移転による広野町社会福祉協議会の体制整備、さらには民間企業との連携による健康増進や介護予防のノウハウを活用した健康増進事業を積極的に展開し、地域の人々が相互に連携・協働しながら健康づくりの輪を広げ、「日本一元気あふれるまち」の実現に取り組んでまいります。
教育環境の展望に向けては、幼保連携型認定こども園「ひろぱーく」の開園、ふたば未来学園中学校・高等学校の新校舎が開校し、教育の丘が形成され、約1,000名が日々勉学に励んでいます。こども園における「言葉の教育」、東日本国際大学留学生と異文化交流を行う「グローバルデイ」、広野町における童謡、歴史・文化の継承やシネリテラシーを取り入れた「ふるさと創造学」など、独自性を持った教育を提供しています。また、令和3年度よりJFAアカデミー福島が広野町において再開し、アカデミー生の地域住民との交流を目的としたホストファミリー制度を行うなど、受け入れ体制の充実に取り組んでいます。第五次広野町町勢振興計画に基づき、令和7年4月よりスタートした5カ年計画の「第三次広野町教育ビジョン」のもと、〝子どもたちが夢や希望を抱き、未来をたくましく生き抜く幅広い見識と創造性の育成〟に取り組んでまいります。