くらし [特集]やっぱりわが町、双葉町。(1)

ふるさとの息吹を感じる、新しい日常のカタチ

■ただいま、ふるさと!双葉町での暮らしを語る
3年前の避難指示解除から多くの方が双葉町での生活を再開しました。今回は、町内で暮らす皆さんにお集まりいただき、帰還した経緯や現在の暮らし、そして双葉町への思いなどを語っていただきました。

(高橋)役場秘書広報課の高橋です。本日はお集まりいただきありがとうございます。昨年9月に自宅を再建し、町内に住んでいます。
皆さんの双葉町での暮らしについてお聞かせください。

(國分)國分です。以前は越田に住んでいました。今は駅西の復興住宅に入居しています。家の解体はこれからですが、ゆっくり進めようと思っています。

(伊澤)伊澤です。双葉中学校の南側に平屋を建て、令和5年10月に戻ってきました。

(加藤)ふたばプロジェクトの復興支援員・加藤です。実家は山田地区ですが、今は町内のアパートに住んでいます。

(佐藤)役場総務課の佐藤です。震災前は三字の目迫に住んでいました。私も今は町内のアパートで暮らしています。

■ふるさとへ戻るきっかけ
(高橋)皆さんが双葉町へ帰ってこようと決めたきっかけをお聞かせください。

(國分)私は、いわき市の勿来で避難生活を送っていたのですが、避難指示が解除されたら率先して戻ろうと決めました。勿来の方々との交流も深く、名残惜しい気持ちもありましたが、やはりふるさとですからね。

(伊澤)私は、帰還が始まる2年前から町の状況を見ていましたので、戻ることに戸惑いはありませんでした。むしろ、帰ってきてから「夜空はこんなに星がきれいだったんだな」と改めて気付かされたくらいです。

(加藤)私は仕事がきっかけです。仕事を通して双葉町に貢献したいと考えていました。最初は隣の浪江町から通っていましたが、双葉町にアパートができたタイミングで引っ越そうとしたら満室で。1年後に空きが出て、ようやく入居できました。

(佐藤)私は小学校4年生で被災したのでずっと双葉町に戻って来たいと思っていました。
ただ、子どもだったので当時は双葉の状況が全くわからないながらも、復興させたいと思って町で生活をはじめました。

■双葉町での新たな日常
(高橋)実際に戻ってきてからの生活はいかがですか。楽しみや、新しく発見したことなどがあれば教えてください。

(伊澤)再建した自宅を家族や親戚が「キャンプ場ができた」と喜んで集まってくれるのが嬉しいですね。多い時は26人で賑わいます。ここがみんなの笑顔が集まる場所になったこと、それが帰還した一番の価値だと感じています。

(國分)勿来での経験を生かして、防災活動や語り部、地域の花植え活動など、色々なことに声をかけていただき、忙しくも充実した毎日です。

(加藤)避難先で出会った方が実は親戚だったり、町内で働かなければ知らなかったことだらけで、今だからこそ、分かったことが多くあるので、町に住んで良かったと思ってます。

(佐藤)私は役場に勤めているので、特に町の復興に携わる仕事に関われることが嬉しいですね。子どもの頃の記憶しかないので、町のことを話すということが新鮮な気持ちです。

(高橋)帰還して改めて町の自然の魅力を感じたという声も聞きます。

(國分)やっぱり海ですね。ぼーっと眺めているだけで、余計なことを考えずに心がすっきりします。

(伊澤)私も海に行きます。山の緑も豊かですが、海の景色は特別ですね。

(佐藤)私は逆に山派ですね。実家があった目迫のお墓のあたりから町全体を眺めるのが好きで、落ち着きます。

■今回 ご参加いただいた皆さま
▽駅西住宅管理組合会長 國分 信一さん
双葉町の駅西住宅といわき市勿来を忙しく行き来する日々。今も昔も郡山海岸で風に吹かれながら見る、海の景色がお気に入り。

▽目迫組長 伊澤 郁夫さん
スポーツは観戦もプレーもどちらも好き。特に野球。
双葉に生活を戻してから、夜空の星の美しさに改めて気がつきました。

▽双葉町役場職員 佐藤 葉月さん
震災後、町に帰還することを希望していました。
今の夢は震災前に住んでいた場所に戻る事。
小中学校時代に打ち込んだソフトテニスをまたやりたいと思っています。

▽双葉町復興支援員 加藤 奈緒さん
復興支援員の仕事を通してふるさと・双葉町に貢献したいと思っています。
最近はカメラも好きになりましたが、スポーツが大好き。

※「目迫」の「迫」は環境依存文字のため置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。