文化 行方歴史探検2025

風土記の郷「なめがた」5
~いにしえの道の駅曾尼駅家(そねのうまや)~

常陸国風土記に「堤賀(てが)の里の北に曾尼(そね)村があり、昔から疏禰毗古(そねびこ)という佐伯(さえき)(土着民)が住んでいたので、その名を付けて曾尼駅家を置いた」と記されています。駅家とは、全国に広がる官道(国道)に設けられた中継施設で、律令制の下、全国各地に整備されました。乗り継ぎの馬と馬小屋、事務棟、宿泊棟、厨房、倉庫、駅楼などで構成され、主に役人が地方と中央を往来する際の交通や通信手段として、重要な役割を果たしていました。曾尼駅家は、常陸の国府(現石岡市)から東南に下り、行方郡(なめかたのこおり)の泉に所在していたとされており、玉造甲(泉)の県道50号線沿いには、玉造郷土文化研究会によって「曾尼駅家の跡」の石碑が建てられています。ちなみに、この駅家の制度が、現在の「駅伝」の語源になっているそうです。
※遺称地とは、古くから遺構や遺跡があったと伝承されている土地(諸説あり)

※常陸国風土記の世界(1999茨城県立歴史館)、玉造史叢第66集(2025玉造郷土文化研究会)、鹿行の文化財第53号(2023鹿行地方文化研究会)を参考にしています。

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