文化 行方歴史探検2025

■風土記の郷「なめがた」6
~豊穣(ほうじょう)の地提賀里(てがのさと)~
常陸国風土記に「郡家(ぐんけ)(役所)の西北に提賀里がある。昔、手鹿(てが)という佐伯(さえき)(先住民)が住んでいたので、後に里の名前にした。里の北には香嶋神子社(かしまのみこのやしろ)がある。神社周辺の山野は肥沃で、草木は椎(しい)・栗・竹・茅(かや)の類(たぐい)がたくさん生えている」と記されています。提賀里が、豊穣の地であったことがよくわかります。また、香嶋神子社(鹿島神宮分社)は、現在の荒原神社に比定する説が有力です。同神社の周辺には、貝塚や古墳、廃寺跡などが散見され、古代から集落があったことを物語っています。そのため、市ではこの周辺を「提賀里」の遺称地(いしょうち)としています。荒原神社のそばには、古代の人々が豊かな暮らしを営んでいた往時をしのんで、助け合いながらたくましく生きる家族の像が立てられています。
※遺称地とは、古くから遺構や遺跡があったと伝承されている土地(諸説あり)

※常陸国風土記(1992常陽藝文センター)、常陸国風土記の世界(1999茨城県立歴史館)玉造史叢第66集、鹿行の文化財第53号(2023鹿行地方文化研究会)を参考にしています。

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