- 発行日 :
- 自治体名 : 栃木県上三川町
- 広報紙名 : 広報かみのかわ 2025年7月号
上三川町は4月29日で町政70周年を迎えましたが、今年は「○○周年」という節目の年を迎えるものの話題を、よく耳にするような気がします。例えば、1月には阪神淡路大震災と3月には地下鉄サリン事件が発生してから30年が経過し、同3月には国内でラジオ放送が開始してから100周年、6月には東京府第二大区溜池葵町(現在の東京都港区虎ノ門)におかれた東京気象台が、地震観測と気象観測を開始した気象業務150周年を迎えました。そして、8月には戦後80年を迎えます。
1931年の満州事変勃発後、日本は軍部の力が急速に強まり準戦時体制となっていたなか、1937年7月に盧溝橋(ろこうきょう)事件が起こり、日中戦争がはじまりました。同年9月からは国民精神総動員運動を開始し、政府は国民に対し戦争への協力を呼びかけました。栃木県は9月28日に国民精神総動員栃木県実行委員会を設置し、挙国一致・尽忠報国(じんちゅうほうこく)・堅忍持久(けんにんじきゅう)の三大綱領といわれる方針と、心身の修養鍛錬(しゅうようたんれん)・銃後の後援(戦闘に加わらない人々が前線で戦う兵士やその家族に行う支援)・非常時経済政策への協力、という三大実践要目を定めました。
上三川町でも、講演会や映画会などを開催するほか、実行委員会を組織するとともに町内会などを通じて町民の戦争協力体制づくりを展開しました。
戦争への機運が高まるなか、1938年に国家総動員法が制定され、日本のすべての政党を解散し、公事結社である大政翼賛会(たいせいよくさんかい)を1940年に発足し、本格的な戦時体制が敷かれていきました。
そして、1941年12月8日に、アメリカ太平洋艦隊の基地があり重要拠点であった、ハワイの真珠湾を日本軍が奇襲攻撃しました。この事件が引き金となり、日本はアメリカおよびイギリスと交戦状態に陥りました。太平洋戦争が始まったのです。
問い合わせ先:生涯学習課 文化係
【電話】0285-56-3510