くらし 鉄道のまち大宮「大宮総合車両センター」

大正時代の客車製造

鉄道開業期から大正時代までは客車の車体は木製で、その組み立ては木工場で行われていました。当時、大宮工場内には大宮駅側(現在の大栄橋側)に5つの木工場が稼働しており、その面積は合計約2,650坪(8,760平方メートル)、そこで働く職員は400人以上という大規模なものでした。その後、昭和初期には安全性向上のため、木製に代わり鋼製車体の客車が製造されるようになりました。