文化 行田歴史系譜373

■資料がかたる行田の歴史73
▽忍藩の雨乞い祈願
農作物は干ばつや冷害、台風などの自然災害により収穫に大きな影響を受けます。水に恵まれていた忍藩領ですが、雨不足の影響は看過できないものでした。
天明5(1785)年1月は前年冬から雨が降らなかったため、麦の生育に支障が出る恐れがありました。藩主阿部正敏は大坂城代として現地に赴任中でしたが、大坂の藩主周辺ではこの状況を心配して、雨乞いの祈祷の実施を指示しました。これを受けて国元では阿部家の祈願寺である長久寺に依頼しました。写真の「御領主請雨御祈祷留記」には、雨乞いに関する経過が記されています。
※写真は本紙をご覧ください。
長久寺では、明和8(1771)年に雨乞いを実施したことがあるため、そのときの事例を参考に準備を進め、13日夜から祈祷を始め、初日は長久寺単独で、14日からは末寺の寺院も加わって祈祷を行いました。そうしたところ14日午後2時ごろから雨が降り始め、夜には大雨となり、翌日午前8時過ぎまで降り続き、水不足の心配は解消しました。
その翌日には郡奉行から御礼の品と降雨を喜ぶ狂歌「君の代や 長久自他の黎民の 命を延る法力の雨」を添えた礼状が届きました。16日には郡奉行・代官が寺を訪れ直接お礼を述べ、大坂や江戸藩邸に報告する旨を伝えました。割役名主(わりやくなめし)や名主たちからも礼金が届けられました。こうしたことからも雨が降ったことを藩がいかに喜んでいたが分かります。
その後も雨乞いは続けられ、この年の6月には干ばつのため9日から19日まで雨乞いを行いましたが、このときは小雨程度で効果がなく、本降りとなったのは23日からでした。寛政2(1790)年は6月19日から雨乞いを始めて22日に雨が降り、同3(1791)年6月も18日から始めて最終日の24日に雨が降りました。
農作物の収穫具合は領民の生活や藩の年貢、藩財政に直結する問題です。自然相手ではできることはそう多くはないでしょうから、法力に頼ることは重要な手段だったのです。
(郷土博物館 鈴木紀三雄)