文化 行田歴史系譜376

■資料がかたる行田の歴史76
▽足袋のまちの風物詩
行田足袋の製造は、布地の裁断から縫製、仕上げまでを含めておおむね13工程に分かれるとされています。これは足袋本体の製造工程であり、製品として出荷されるまでには、ラベルの添付や梱包など、さらにいくつかの段階を経なければなりません。また、足袋の材料となる大量の布地も裁断されるまでに入念な下準備が行われます。つまり、単に「足袋を作る人」だけでは足袋産業は成り立たないのです。素材の加工、印刷、鉄工、機械整備など、少なくとも20を超える業種が行田の足袋産業に関わってきました。こうしたさまざまな技術を持った人々(専門的な言葉では「諸職(しょしょく)」と呼びます)によって、行田の足袋産業は支えられてきたのです。
足袋産業を支えた諸職のひとつに「貼り屋」があります。貼り屋は、足袋用の布地を裁断する前に、のりで貼り合わせる手作業を行っていました。石底織(いしぞこおり)とネルの組み合わせ、晒(さらし)と雲斎織(うんさいおり)の組み合わせなど、使う布地は製品によって変わり、のりも数種類を使い分けていたそうです。かつての行田市域には40軒ほどの貼り屋があったといわれていますが、その多くは広い敷地を持っている農家でした。貼り合わせた後の布地を大量に干すために、広い敷地が必要だったからです。ちなみに、農家が足袋関連の仕事を兼ねることは貼り屋に限らず、行田市域においては珍しくありませんでした。
布地の干し方は季節によって異なり、夏は低い位置で平干し、冬は高い位置で段干し(高干し)していました(写真参照)。大量の布地が天日干しされている光景は、まさに足袋のまちの風物詩だったと言えます。今では見られなくなってしまいましたが、語り継いでいきたい風景のひとつではないでしょうか。
(郷土博物館 岡本夏実)
※写真は本紙をご覧ください。