文化 歴活(レキカツ)-知れば史るほど-

■不動ヶ岡不動尊總願寺と館林藩主・松平清武(将軍になる可能性があった男)
関東三大不動の一つに数えられる總願寺には、館林藩主・松平清武の書状が約30点残されています。そのうちの一つは、「饂飩粉(うどんこ)」を同寺が持参したことに対する6月25日付けの礼状で、「加須市うどんの日」の歴史的根拠にもなっています。
清武は、1663(寛文3)年、江戸幕府3代将軍徳川家光の三男である、甲府藩主・綱重の次男として生まれ、1680(延宝8)年、越智喜清の養子となり、家督を継ぎます。1707(宝永4)年、2万4千石(1712年、5万4千石に加増)の館林藩主として大名になり、出羽守に叙任された後、松平性を名乗ることを許されました。
7代将軍家継が幼くして危篤状態に陥った時、6代将軍家宣(清武の実兄)の正室・天英院は、8代将軍の候補として、清武を推したといわれます。しかし、すでに越智松平家を継いでおり、54歳と高齢であったこと、清武自身も将軍職に対する野心はなかったといわれることから、天英院は清武を諦め、紀州藩主・徳川吉宗を推し、吉宗が8代将軍に就任しました。1724(享保9)年、清武は62年の生涯を閉じ、谷中の善性寺(現東京都荒川区東日暮里)に葬られました。
紹介者:児玉典久 加須市文化財保護審議会委員

○不動ヶ岡不動尊總願寺
住所:不動岡2-9-18

問合せ:生涯学習課
【電話】0480-62-1223